2013年11月18日月曜日

探し物 LP編②

先日のブログは書いている自分でもわからないくらいトゲのある文章になってしまった。大いに反省。

さて、本題は探しているLPの紹介だった。
中古LPの収集は主に以下の二本立てである。一つはCDでも未所有の音源を探すこと。もう一つはすでにCDで持っているがLPで聴いてみたい音源を探すこと。特に二つ目についてはデジタル録音初期のデッカ録音に重きを置いている。
中古LPでは一般にステレオ初期のファーストリリース盤が高値で取引されることが多い。自分などには手の出ない価格である。以前、さるショップのHPをのぞいていて4万円かあと嘆息していたら40万円の見間違いだったことがある。閑話休題。デッカに限らずデジタル初期のLPは流通量が少ない。特にCDが登場しLPの出荷量を上回った時期以降のLPはなかなかお目に掛かれない。CDでは音が細かったり潤いの足りないと思われる録音でもLPでは粘りのある音を聴かせてくれる。

ということで。

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アシュケナージ指揮アムステルダムコンセルトへボウO.のラフマニノフ交響曲第1番である。
CDでは2枚組全集を持っている。CDでも十分に濃厚な音であるがLPではどうか、と思うと欲しくてたまらない。ジャケット写真もいい。
いくつかのショップを渉猟しているが見かけたことがない。当時、ラフマニノフは交響曲作家としてはマイナーだったこと、それに加えて指揮者アシュケナージの力量もまだまだ未知数であったと思う。流通量が絶対的に少なかったのだろう。これは国内盤だが輸入盤も気になっている。中古LPの流通は輸入盤が中心だ。この頃の輸入盤はそれはもうペラッペラだ。けれどいい音がする、と思う。古い盤は重く固い。すると出てくる音も固い、感じがする。それも悪くないが、ペラペラ盤のなんだか粘りのあるしなやかな音が好きだ。国内盤は輸入盤に比べると幾分しっかりしている。

昔、題名のない音楽会で黛敏郎がラフマニノフをラハマニノフと発音していたっけ。

2013年11月17日日曜日

探し物 LP編①

今日は暖かい日だ。
でも先日の寒波以来、腰痛と頸の痛みが続いている。行きつけの接骨院の先生によれば同じ姿勢を取っているのが良くないそうだ。音楽を聴くときは椅子に座った数時間はざらだし。この前ちょっと重い物を待った時に捻ったのも良くなかったかもしれない。また接骨院通いとなりそうである。そうそう接骨院の治療は急性の症状に限られる。

今回は自分がずっと探している(欲しい)LPを紹介する。時折、自分は単なる物欲・煩悩の塊人間ではないかと思うことがある。昨今CDはBOXセット流行りだ。しかも安い。つい買ってしまう。ダブりも気にせずに。でもお気に入りの曲以外はあまり聴かない。しまいには買っても封もあけないセットまで出る始末。なんだかなぁ。阿藤快に敬意を表しつつ、なんだかなぁ。買ったセット物を聴く聴かないは置いておくとしても消費者にとって良いことなのかと思うこのごろ。
CDが演奏の良し悪しではなくお得感第一で売られ、買われている。1枚あたり何百円でお得ね、というのはグラムあたり何円の豚コマを買う時の思考と変わらないんじゃないか。なんだかなぁ。
まあCDが売れないんだから仕方ないのかもしれない。でもお客一人当たりの購入額は確実に減っているんじゃないだろうか? お得感を前面にしたCD販売の傾向は今後歯止めがきかないように思う。ネット販売のお店も潰れるなんて日が来てしまうんだろうか?ダウンロード音源のコレクションなんてゾッとしない。
ナクソスもブリリアントクラシックスも昔はバジェットプライスの雄であったが、今はすっかりミドルプライスになってしまった。

自分はどうなんだというと、ここ1年ほどはCDはほとんど買いません。BOXセットも買いません。すみません。新譜は月に1枚も買えば良いほう。中古CDはLPを含めて2、3枚か。すっかり中古LP購入にシフトしてしまっている。反省。探しものを紹介しようと思ったが、また次回にさせてください。ごめんなさい。

昔2800円のLPを買って、10回聴いたから1回280円だ、得した。なんて二ヒヒと一人悦に入っていたころが懐かしい。

2013年11月15日金曜日

O.klemperer/NPO AB9

寒い!
歳をとると寒暖の差がことのほか堪えるようになった。

今回はクレンペラーのブルックナーの9番である。これはいろいろと問題のある盤。
演奏は遅い。遅いことは全く構わないが、アンサンブルがかなり酷い。70年の録音。アンサンブルの精度には比較的うるさかったと思われるクレンペラーだがミスが散見される。それも構わない。
けれどもPO.NPO.との他のブルックナーの録音と比べても9番だけがいやにモッサリとしている。5番は所有していないのでわからないが4番・7番あたりは他の指揮者と比べても幾分スマートな演奏となっている。何があった?クレンペラー?
似たような現象はマーラーにもある。7番だ。あれも他の録音と比べると異質な印象を受ける。遅いと言われる(自分は全然思わないのだが)クレンペラーの代名詞的な録音だ。でも他の曲は比較的真っ当な演奏なのだ。ブルックナーの9番、それにマーラーの7番は本来のクレンペラーの解釈なのか疑問に思う。発売されるからには許諾を出したのだろうが本人的にはどうだったのだろうか?

一番の問題は録音なのかポスト・レコーディングの問題なのか録音のバランスがかなり不自然なこと。RIAAカーブではないのじゃないか。LPを聴くときはトーンコントロールの高音を少し上げ、低音を下げて聴いている。70年の録音でRIAAではないことはないと思うが、実際聴くときはこれがしっくりくる。CDではさらにおかしなことにLPのバランスとは明らかに異なるバランスで不自然さに拍車がかかる。加えてマスターテープに起因すると思われる音の揺れがひどい。LPとCDではLPの方がまだしも鑑賞に堪える音質だ。

さて、ここで問題になるのは、ちょっと前に発売された輸入盤のBOXセットに入っているブルックナーの9番の音質である。LPがあるから構わないように思うが、気になって仕方がない。買ってみてハズレだったら、と思うと・・・。心配である。



             ブルックナー:交響曲第9番(ノヴァーク版) クレンペラー / NPO [廃盤]


しばらくブログの更新が滞ってしまった。ここのところ音楽を聴こうという意欲が減退した感じだ。すこしづつ聴いていこうと思う。ブログもそれに合わせて書きたいと思う。宜しくお願いします。



2013年11月3日日曜日

O.Klemperer/VPO AB5

ショルティのブルックナーの9番を聴いていて、ショルティがブルックナーをどのように考えていたかを調べようと自伝を読み返してみた。買ってずいぶん経つ。何度か繰り返し読んでいる。

ブルックナーについて50年代にテオドール・アドルノに演奏するように勧められたようだ。それまでは退屈な音楽と思っていたようだ。ショルティはブルックナーを演奏について以下のように書いている。

指揮者は金管が目立ちすぎないように気をつけねばならない。要所要所でためらうことなく、ダイナミックス大きく変える必要がある。金管は独奏部その他の重要な旋律部分では、前面に出る必要があるが、伴奏に回るときは弦や木管の音を圧倒してはならない。(中略)オーケストラが金管アンサンブルのようになってはいけないのだ。

                             (木村博江 訳 ショルティ自伝 pp.250)


とは書いているが、実際の演奏は自分の耳には金管が突出しているように思う。ショルティ自身はあのバランスが最適だったのだろうと思う。
この本、まだまだ面白いエピソードがある。小出しにしていこう。


さて、この2週間ほどは多忙でゆっくりと音楽に浸ることができなかったが引き続きブルックナーを中心に聴いていた。なかでも良かったのがナクソスのティントナーの演奏。残念なことに全集の完成直後、病気を苦に自殺してしまった。このブルックナー全集が遺言になってしまった。のちにメモリアルエディションとして他の作曲家の演奏も発売されたがもうほとんど顧みられることはないようだ。オケはスコティッシュナショナルo.が中心。演奏は自然体で力みは一切ない、と書くとすっきりしすぎていて物足りないように思うがそんなことはなく、非常に充実した(演奏もだが、特に)音楽となっている。いい意味で指揮者が見えない演奏。なかでも初稿版による3番が良い。全集のチョイスとしては外してはいけないと思う。

もう一つはクレンペラー/VPOの5番。68年ウィーン芸術週間のライブ録音BOXセット。テスタメント。クレンペラーのブルックナーというとテンポが遅いとか、無理やりなカット(8番)が響いて悪い印象が先行しているようで甚だ評判が悪いようだが自分はなかなか良い演奏だと思う。クレンペラーについての全般的な印象を一言でいうならば「クレンペラーさん、良くわかってらっしゃる」といったところか。
晩年のフィルハーモニアO.ニューフィルハーモニアO.との演奏記録が残っているだけでも自分にとっては僥倖(残されていなかったらこの指揮者を知ることもなかったハズ)だが、VPOとの演奏記録である。晩年の体調などを考えると奇跡に思える。
この演奏、大変な充実ぶり。クレンペラーはギャラの安さを理由にウィーンには行きたがらなかったようだが、いざ振るとなるとかなりの本気モード。VPOも巨匠の指揮にビッタリとつけている。放送録音だが音は良い。会場の雰囲気がよく捉えられている。テンポは言われているほどには遅くはない。緩徐楽章である第2楽章がかなりの快速テンポ(14分53秒)なのでその他の楽章が相対的に遅く(というかゆっくりに)感じられる。
全体の演奏時間は74分32秒。以外なことに主な手持ちの盤のなかで最速だ。ちなみに早い印象のあるヨッフム/バイエルン盤でさえ76分52秒(第2楽章は19分32秒)。最も遅いチェリは87分39秒(第2楽章は24分12秒)。チェリ盤と比較すると全体では13分ほどの差になるが第2楽章だけでは約9分40秒違うが残りの1,3,4楽章では4分ほどしか違わない。いかにクレンペラーの第2楽章が速いかがわかる。

クレンペラーは決してテンポが遅いわけではなく楽章間での時間配分を変えているといった方が良いのかもしれない。この操作によって弛緩することなく堂々とした音楽が構築できるのだろう。聴いている方は訳がわからないうちに凄い、という風になってしまうのだ。クレンペラー・マジックといったところか。参考までに同じような手法をベートーヴェンの9番でもとっている。
            
                   
 

                         クレンペラー&ウィーン・フィルBOX(8CD)