最近というか、ちょっと前からPCの起動やストリーミングの動作が遅くてストレスに思っていた。
偶々見ていたYouTubeにその解消法があったので実行してみた。びっくりするくらいサクサクと動くようになった。まあ不要なファイルを削除しスタート時に裏で起動しているプログラムを起動しないようにするだけなのだが。まあその効果たるや。PCの買い替えも視野に入れていただけにちょっとうれしい。
このところ、マーラーの交響曲といえば第5番ばかり聴いている。まあ、そもそもマーラーを聴く機会も随分と減ってしまったが。若い頃は寝ても覚めても…という感じだったのに。
確かマーラーは50歳で亡くなっていると思うが、自分もそんなお歳頃なのだった。
先日、”ヴィーン・ブラッド”という海外ドラマを観ていたら、マーラーが出てきた。フロイトに傾倒する精神科医の主人公がフィアンセと観る歌曲の演奏会のピアノ伴奏。1906年の設定なので実際は40歳を過ぎているはずだが、見た感じは30台前半といったところ。しかも全く似ていない。ちょっとがっかり。
さて、この交響曲第5番は1901年の作曲。この曲の作曲中に妻となるアルマと出会っている。この年にはウィーンフィルの指揮者は辞任したものの、国立歌劇場の楽長は続けており、マーラーの絶頂期にあたる。有名な第4楽章”アダージェット”はアルマを描いているともいわれるし、第1楽章は葬送行進曲だし、第2楽章は嵐を思わせる楽想。第5楽章は何か光明が差すような冒頭から、終始平明で幸せ、もっと言えば多幸的な音楽が続き、最後に大きなクライマックスを築いたのち、急転直下音楽が終わる。人生の成功を手にしたマーラーの喜び、さらに言えば浮かれっぷりが存分に表されている曲のように思う。
特に後半は躁鬱気質だったマーラーの”躁”の部分が強く出ていると思う。
さて、ここからは七味の妄想モードのお話。
世には男女の営みの様子を描写した音楽がいくつかある。ワーグナーの”トリスタンとイゾルデ”しかり、スクリャービンの”法悦の詩”しかり。
この5番もその一つではないか?最近、そんなことを考えている。第5楽章の最後のクライマックスの上り詰めるような感じは、なんか男性のエクスタシーそのもののように思われて。
おふざけはこれくらいにして…
初めて買った5番のディスクはシノーポリ/PO.でした。これが基準になってしまってますが、いま聴くと何か歪な感じがします。その後にテンシュテットやマゼール、バルビローリにカラヤンなどなどもう何種類持っているのかわからないくらい聴いていますが、最近は山田一雄とバーンスタインのWPh.盤をよく聴いてるかなぁ。忘れてならないのがショルティの旧盤。録音はちょっと割れてしまっていますが、取り出す機会は多いです。
先程の妄想に絡めて、終楽章が底抜けに明るく浮かれすぎな演奏が無いかなあと。
3連休のあと4連勤の週末。気が付くと11月ももう終わり。天気が良ければタイヤの交換に行ってきたいけれど予報では荒れ模様の様子。
妻はフィギュアスケート活動に忙しく(NHK杯が始まった!)のでディスプレイの前から離れません。
まあ、ゆったり音楽を聴くことにしようと思います。