2019年3月31日日曜日

平成最後の日? 

今日、3月31日を平成最後の日と勘違いしている人が多い様子。明日は新元号発表の日であって、平成はまだ終わらない。終わるのは4月30日だっけか?
そのうちに#平成最後の日に何を聴く、~を聴く、みたいなのがツイッターに挙がるんじゃないかと。(ここはやっぱり「君が代」でしょう~)←ウソ!

さて、そんな今日はまたまた仕事に。春休みに入ったものの全くといっていいほど勉強しない娘を連れて職場へ。まだまだやらねばならぬ業務はあれど、一応の区切りはついた。明日4月1日は社の創立記念日でお休み。なので都合3連休なのだ。明日も娘と出掛ける予定。

昨日は、Kazuさん一年振りの来訪。随分取っ散らかった音を聴かせてしまったと反省。
オケものやピアノはまだ良いが、バイオリンは辛いものがあったなあ。全体の方向は上向きと捉えてくださったのは何より。今後の励みといたします。
で、Kazuさんが帰ったあとも微調整を続けた。
現状、音楽を聴いていると、耳が痛くなったり、サワサワと鼓膜をくすぐるような感じは無くなったが、長時間聴いていると頭というか顔というか肩というか、ふと、気が付くと何だか力が入っているようで困ることが多い。音のせいなのか?それとも眼鏡のせい?
リスニングチェアに座っている時の姿勢が肩こりには悪いのか?今日、職場でPC叩いている(PCに平手打ちしているわけではなくて…、昭和の人間はキーボードを叩くように入力するよね~)とやっぱり凝った凝った。ということは姿勢&眼鏡なのかもしれない。
因みに、昔のワープロやPCのキーは凄く硬かったんです。

仕事から帰って聴いているのはコレ↓
幸せの黒い猫さんおススメの電源ケーブルのアルミホイル巻きに挑戦。100均でBBQ用の厚手のものを買ってきて、とりあえずプリの電源ケーブルを巻いてみた。何だか効果あるんじゃないの?
昨日よりも柔らかく、それでいて弦を触るタッチの繊細なところの聴こえるようになった。




2019年3月29日金曜日

低音の調整に挑戦中

懸案の冬タイヤは夏タイヤに交換してもらい、処分となった。結構な出費であったが致し方なし。ただ、秋にも冬タイヤとホイールを購入せねばならず。頭が痛い。

オーディオの方はというと、まだまだ取っ散らかった音がするものの、前よりもバランスは良くなった感じ。もう少し追い込みたい。

EQを使った伝送特性の補正を行なっていると、どんどん深みに嵌っていくような気がする時がある。気がするではなく実際嵌っているのだが。
一度EQカーヴを作ってしまうとそこからなかなか抜け出せなくなってしまう。
我が家の場合、中音域~高音域にかけての耳障りな音は300~800Hzあたりを削ることで随分と解消された感がある。ただ、中音域を下げると、相対的に高音域と低音域が大きくなる。バランスを取らなければならないのだが、これが結構難しい。
今回、中音域~高音域にかけてタッチが良い感じにまとまったので、低音域を見直すことに。
スピーカーの位置も間をやや狭め、15センチほど下げてみた。
合わせてEQカーヴの低音域を聴感上、飽和しないレベルまで一旦ググッと下げてみた。やはり低音域は不足している。だが、そこから50~40Hz以下をグイグイっと持ち上げてみると下支え十分な低音が得られた。我が家では100Hz近辺のボン付きは床の強度もあって仕方ないと諦めていたが、それ以下の周波数帯域を盛ってあげることで思った以上にバランスの良い仕上がりとなった、と思う。
低音域の扱いはやっぱり難しいと痛感。あんまり主張しすぎてブーミーになっても中音域をマスクしてしまい細かいニュアンスが損なわれる。少なくてもニュアンスは出てもギスギスとした潤いに欠ける音で楽しめない。まだまだ調整の余地はあるものの、そこにあるように、自然な感じに調整したいものだが、ついつい欲張ってしまいがち。
現行のEQカーヴのベースはアンプ修理前の状態だし、SPの位置も前のもの。良好なEQカーヴの傾向がわかったので時間のある時に再度、特性を測定しようと思う。

なかなか良い音で鳴ってくれなかったミルシテインのバッハ無伴奏。あんまり低音は入っていないけれどもバランス良好、破綻なく鳴ってくれるようになったのは僥倖。もう少ししっとりとしてくれれば言う事なしなのだが。

明日はKazuさんがおよそ一年振り(?)にいらっしゃる。十全とはいかないまでも前よりもまともな音をお聴かせできるのではないかと思う。
と、その前に部屋の掃除!掃除!






2019年3月21日木曜日

L.v. Matačić / NHKSO. AB 8

今日は祝日、春分の日。先々週来、腰の痛い七味にはまさにギフト。休めるのは有り難い。昨日から妻はさいたまスーパーアリーナで開催中のアレを観戦に出掛けて土曜日まで帰ってこない。妻の趣味には基本、口を挟まない。そのおかげか、七味の趣味についても(特に出費の方面)妻は寛容な気がする。ま、お互いさまですね。

先日日曜日のEテレ、クラシック音楽館でマタチッチとN響によるブルックナーの8番を放映。懐かしい思いで観た。
マタチッチを知ったのはこの演奏だと記憶している。ブルックナーの8番を初めて聴いた(観た)のもこの演奏だったと思う。もちろんテレビで、ですよ。
その頃はまだまだクラシック音楽を齧り始めたばかりの中学生。生意気にもヘタクソなオケだと思っていた。マタチッチは指揮棒を持たず指揮するスタイル。かといってしなやかに、細やかに指を動かす訳ではなくて、手刀よろしく、鉈のように手を振り下ろす。しかも震えているし。しかもしかも口は半開き状態で。
ただ、当時のテューバを吹いていた七味には、ブルックナーの8番は、なんて”かっちょいい”曲(特に終楽章)と思ったものだ。N響テューバ奏者の多戸幾三氏は憧れの存在だった。

その後、デンオンからマタチッチの遺産シリーズとしてリリースされたCDを聴いて以来、8番のベスト盤はマタチッチ/N響である。
音源がNHKの放送用録音ゆえ、あまり良いとは言えない。あの頃のFM放送の演奏会中継そのままの音。懐かしい気もする。これを何とかベストの状態で再生したい、というのが七味のオーディオの一つの目標である。以前、JCVビクターからXRCDで新たなリマスタリングで発売もされた(この盤も所有している)が、かなりバランスをいじっているようで、今一つ馴染めない。第3楽章の電気的ノイズも気になる。
やはり、デンオン盤で十分と思い、今でもそちらを聴いている。

久しぶりに聴いたマタチッチ/N響の8番(もちろんデンオン盤)。このところのオーディオの調整の甲斐あってか、かなり良い感じで聴けた。
第2楽章のスケルツォあたりから段々と熱を帯びてくるオケ。ゴツゴツとした緩急をつけたマタチッチの指揮についていくのがやっとといった感じもあるが、強烈な眼力でオケを奮い立たせるマタチッチとそれに応えようと必死のオケから凄まじいエネルギーが放射されているこの演奏を聴くとどうしてもグっと来てしまう七味である。

DENON COCO-7376



2019年3月16日土曜日

いろいろチャレンジも・・・ 10連休、どう過ごす? 

アンプが戻ってからというもの、オーディオの調整をあれこれとやってみた。
SPの下にボードを敷いてみたり、SPの間隔を狭めてみたり、壁にタイルカーペットを貼り付けてみたり・・・。
やってみると変化があって良いな、と思うものの、長い時間聴いているとダメだ、となることも多い。
今はダメだけど、また挑戦してみたい気持ちもあったり。タイミングも大事みたいだ。

で、やっぱりEQの調整ということに落ち着いてしまうのだけれど・・・
取り敢えずは何でもチャレンジ、とばかりに思い切って低音域を3~5dBほど下げてみた。この状態にして一週間。耳が慣れてきたこともあって好感触を維持。特に中音域の音離れがよくなった気がする。この前には中音域も下げているのでさらにスッキリした感じとなっている。

そろそろ10連休の過ごし方を考えねばならぬ。
とはいっても、サービス業種。丸々10連休とはならず。10連休なんて、こんな機会は滅多にないので休んでみたい気もするが。職場の会議で、連休中に2日間だけ出勤することが決まった。
それでも3連休が2回ある。別に海外に行くわけでもないしゆっくりとオーディオの調整と音楽を楽しみたいと考えている。
先日、久しぶりにレコードを聴いた。プレヴィンのラプソディ・イン・ブルー。
オケはややモッサリとしているが、ピアノがなんとも言えず良い。



2019年3月9日土曜日

咳をしてギックリ 音はスッキリ

今週はギックリ腰で過ぎた。
月曜の朝、職場で着替えている時にした咳でグキッと来て、軽いものだったがその後は腰の痛みと左脚に痛みが走り、全く仕事ができないわけではないもののしんどい。
接骨院に行って診てもらった。案の定、身体がガチガチですね、と。腰痛ベルトと湿布、懐炉で何とか一週間を乗り切った。

愛車のタイヤは修理の甲斐なく、ホイールの歪みからくるエアの漏れは続いていて、今年は早々にタイヤを交換することにした。冬タイヤはホイールごと処分と決めた。
腰を庇いつつ、タイヤを積み込んでスタンドへ。
が、夏タイヤもかなりの摩耗。交換を勧められた。ちょっと家族会議が必要なので、交換するはずだった夏タイヤはそのままスタンドに預けて帰ってきた。
うわ~ッ、クルマ関係の出費がハンパ無いことになりそうである。

オーディオは、SPの位置を変えたりEQでの調整に余念がない。バイオリン曲など中音域~高音域にエネルギーが集中するディスクでは随分良くなったと思ったが、調整しているうちに段々と泥沼に。
ものは試しと630・800・1000Hz辺りを上げ下げしながら聴いていくと630Hzを下げた時にスッキリとした音調に変化。900Hz辺りにもピークがあるようで、パラメトリックEQで叩たりと、試行錯誤の結果、泥沼から抜け出し何とか形になりつつある。

ヤフーブログの閉鎖に伴って、皆様他のブログに移っているご様子。
七味の使っているブロガーはグーグルが運営していることもあってか無料であっても広告が載らないし、デザインのカスタマイズもなかなか凝っているところが気に入っている。気に入っているのだが、カテゴリー別のランキングやサークルもない。新着記事の紹介もしてくれないので誰も来ない。
なので、ブロガーを初めてもすぐに止めてしまう人が多いようだ。詳細プロフィールから同好の士を探すものの、ものの見事にヒットしない。
つられて、七味も変えようか、どうしようかと思案中。


2019年3月2日土曜日

Andre Previnを偲んで

金曜日、朝いつも立ち寄るコンビニの灰皿の前で一服しながらTwitterなんぞを眺めていると、アンドレ・プレヴィン死去のニュースが目に飛び込んできた。あまりの急な話に言葉も出ない。
以前、テレビでその姿を観掛けて正直、あんまり先は長くなさそうな印象を抱いたものだが、いざその時が来るとやはり寂しいと思える。

我が家にもプレヴィンの指揮、ピアノによるディスクがクラシック音楽ばかりだがいくつかあって折に触れ、親しみを持って聴いていた。
昨夜から、いくつか取り出し、CDプレーヤーのトレイに載せて彼を偲んでいる。

ショスタコーヴィチやプロコフィエフ、チャイコフスキーといったロシア音楽でも独特の存在感を放っていたが、ロイヤルPO.の音楽監督・首席指揮者時代にテラークに録音したRVWやウォルトンやホルストはRCAやEMIの頃にも録音していて再録音にあたる。
そのなかでもウォルトンの交響曲第1番(過去のブログはこちら)はそれこそ何度聴いたかわからないくらい。2つの行進曲と合わせて、素晴らしい演奏だ。
協奏曲の伴奏も上手かった。アシュケナージとのプロコやチョン・キョンファとのシベリウスなどなど。シャハムとのバーバーも良かった。
またピアノも上手かった。バーンスタインとのショスタコの1番やPITとのラプソディ・イン・ブルーの弾き振りや、同じくコステラネッツとのラプソディ・イン・ブルーでのピアノも存在感ある演奏だった。
晩年は作曲家としても「欲望という名の電車」や「逢引き」といったオペラを物していた。女流バイオリニストのムターとの結婚には驚いたものだが今回新聞の報道で知ったが都合5回の結婚歴がある、なかなかの艶福家であった。

慎んで、ご冥福をお祈りする。




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お気に入りのディスクが上手く鳴ればご機嫌なんだが・・・

先週末のSPの追い込み作業で40kgもするSPを持ち上げたり降ろしたりという作業ですっかり筋肉痛の今週。二の腕には青痣まで作る始末。月末と重なり事務作業が通常の2.5倍。体力の無さを痛感した週前半、疲労困憊であった。

皆様、お気に入りのディスクを何枚かお持ちのことと思う。オーディオの調整はきっと、そのディスクで行なっておられるのではないか。
何とかしてそのお気に入りを自分の理想とする音で再現したい。そんな思いで日々、オーディオに取り組んでおられることと推察いたします。

七味も何枚かそういったお気に入りのディスクがあって、オーディオの調整には折々そのディスクを鳴らし、試金石としている。
ただ、そのディスクが優秀録音でないこともあって再生に四苦八苦。
そのうちの一枚、ミルシテインのバッハ無伴奏(DG)は中々の難物ディスク。ミルシテイン盤に限らずバッハ無伴奏は難再生ディスクの筆頭。高音域のエネルギーが多く、ヘタをするとガッサガサ。良くてキンキンとした音になってしまう。2枚組だが1枚目を聴き通すのがやっと。聴き終えたあとは耳がぼわ~んとして肩がバキバキに凝っている。演奏が良いだけに何とか上手に鳴らしたい。
もう一枚、スティーブ・ライヒ”18人の音楽家のための音楽”(ECM)。こちらは鍵盤打楽器群にピアノ、声楽を中心としたミニマルミュージック。短いフレーズが微妙に変化しながら音楽が進んでいく
のだけれど、部屋全体に飽和した打鍵音が次第に耳に刺さってきてこちらのディスクも聴き終えたあとはぐったりきてしてしまう。

ここにきて、SPケーブルのアルミテープシールドとEQの調整が効いたようで、それでも最近になって何とか及第点を付けてもいいかなあ、くらいになったかと思ったが長時間の聴取で耳がぼわーんをしてしまう。
上記2枚のCDもだいぶ上手く鳴るようにはなってきている。ただやはりちょっと音が飽和するようなところもあって、もう少し、もう少しとEQカーヴの調整に励んでいるのだけれどワケが分かんなくなりつつある。