2016年5月28日土曜日

O.Klemperer WAM Sym.35,36,38 「魔笛」序曲

moleさんからのご紹介シリーズ第2弾。クレンペラーのモーツァルトです。39番をご紹介いただいたのですが、七味は持っていません。が、これを機会にクレンペラーのモーツァルトも聴いております。久しぶりに聴いたがやっぱりクレンペラーはスゴイ。凄いとしか言えねえ~。
このディスクを一聴、聴いてクレンペラーとは判るめぇ~。クレンペラーらしからぬ躍動感溢れる演奏。いやちょっと暴れ気味ですらある。なにがあった?
録音は36・38番がキングズウェイホール。35番はアビィロードスタジオとなっている。ここでデータ(画像2枚目をクリックで拡大)を見るとおかしなことになっている。

1964年3月と4月にハフナーの第1楽章がキングズウェイホールで。60年にハフナーの第2楽章~第4楽章とリンツの第1楽章がアビィロードスタジオで録音されていることに。さらに56年にはキングズウェイホールでリンツの第2楽章~第4楽章とプラハの第1楽章が録音されている。で、62年にプラハの第2楽章と第3楽章に魔笛がキングズウェイホールで録音となっている。どうゆこと?

多分、種明かしはこうなのだろう。
元々「魔笛」序曲を頭にもってきてハフナー、リンツ、プラハの順だったのだろうが魔笛を最後に持ってきたためこのような間違いとなったのではないか。「魔笛」序曲は多分全曲から抜いてきたものだろうし、「魔笛」の録音は64年の3月とされている。

まあ、間を開けて録音することはあるだろうが、会場まで違うということはこの当時ではあり得ないとは言わないが、まず無いだろうと思う。




O.Klemperer Haydy Symphonise

カルミニョーラのハイドンと一緒に注文したクレンペラーのハイドンの交響曲集の中古。
前から聴いてみたいとは思っていたものの買いそびれていた。「軍隊」についてはmoleさんからクレンペラーの録音の中ではちょっと毛色の変わったものとご紹介いただいたので、これを機に購入に踏み切らせていただいた。EMIの3枚組。88・92・95・98・100・101・102・104番の8曲。
データを見ると、98・101番が60年、88・104番が64年、100・102番が65年、95番が70年、92番が71年となっている。すべてアビィロード・スタジオでの録音。
クレンペラーのハイドンはいつもながらの堂々たるドライヴをみせる。テンポが遅いといわれるクレンペラー。でも自分はそんなに遅いとは思っていない。以前ブログにも書いた(コチラ)が、すべてが遅い晩年のチェリビダッケとは違って、楽章ごとの時間配分を変えているフシが無きにしもあらず、と考えている。それに加えて精神的にも身体的にも好不調の波のあったことも関係しているかも、だ。もちろん例外もわずかにあって、マーラーの7番とブルックナーの9番は異様な遅さだ。マーラーの7番は確かに凄い演奏だしクレンペラーの代表作的位置づけになってしまっているが、自分はアレはやっぱり例外、と捉えている。70年録音のブルックナーの9番はほとんど演奏が崩壊気味でどんなに好意的にみてもかなり苦い演奏。70年・71年録音のハイドンの95番・92番は演奏が崩壊してはいないので、いわゆる耄碌が原因ではなかろう。可能性としては双極性障害が高いのではないかと推測する。
双極性障害(いわゆる躁鬱病)であったクレンペラー。躁状態であった時期、鬱状態であった時期と録音スケジュールの関係は興味深いところであるが、今のところこの2つを関連付けた具体的なデータにはお目に掛かかれていない。ただ、ひどい鬱状態のときは指揮できなかったようである。

このハイドン、録音が60年代~70年代の録音ということもあり、50年代後半のベートーヴェン全集に比べるとEMIにしては各楽器が割と分離よく明晰に録られているようだ。キングズウェイホールではなくアビィロードスタジオというのもあるかもしれない。音調はEMIらしい寒色系の音色はやや後退してウォームに傾いているがその分、直接音と間接音のバランスも良く音楽の細かなニュアンスもうまく拾っているしマスの響きも損なわれてはいないように感じる。

ちなみに画像のジャケット写真は最初にCD化されたシリーズのもの。何度となくリマスタリングされ、再発されているクレンペラーではあるが、最初のものが音質が良いように感じている。ARTリマスタリングはこれに次いで良いと思うが、少し縁取りクッキリ、音薄めで聴きやすくした感じだろうか?でも自分には違いがほとんどわからない。よってこれで十分と思っている。

EMI CMS 7 63667

Haydn Vn.Concerto No.1,3,4 G.Carmignola / Orchestre des Champs-Êlysêes

昨日は爽やかに風がそよぎ、とっても過ごしやすい一日だった。そんな爽やかな日に聴きたいCDがコレ。
ハイドンのヴァイオリン協奏曲集(全集)。カルミニョーラの弾き振りによる演奏。バックはシャンゼリゼ管弦楽団。アルヒーフ、2011年の録音。お目当てはもちろん第1番。あの演奏会以来、頭の中で第1楽章冒頭がリフレインしている。スターンのBOXに収められていたこの曲をうっかりして見事にスルーしていた七味。だってシューベルトのヴァイオリンソナタのディスクにひっそりと置かれていたし。モノラルだし。で、聴いてみたもののあまり心に響いてこない。ここは一つ、やっぱりパリッとした録音で聴きたい。
カルミニョーラは初めて聴いた。ジャケットを見るとチョイ悪親父といった風情。演奏は期待にたがわぬもので安心。編成は弦5部4型くらいだろうか。それにハープシコードが加わる。
第1楽章。アレグロ・モデラート。オーケストラによる溌剌とした主題の導入のあとヴァイオリンが加わる。第2楽章アダージオは序奏のあとオーケストラのピツィカートにのってヴァイオリンの明るく優美なセレナード。弦楽四重奏曲の「セレナード」を思い起こさせる。終楽章プレストはロンド。

このディスク、それにしても録音が良い。あまりディスクの録音の良し悪しにこだわりが少ないと自分では思っているが、良いに越したことはないな。当たり前だけど。
言っておきますが、ディスクの録音の良し悪しにはこだわりが少なくても、システムの音の良し悪しにはシビアに行きたいですよ。もちろん。

ARCHIV 00289 477 8774






2016年5月26日木曜日

G.Solti / CSO DS 7 Symphonies

今日はなんだか蒸し暑くて、汗かきの七味は謎の大発汗。気分が悪くなり、職場を早退した。家に帰ってしばらく横になってだいぶ楽になった。

群響定期からこのかた、ショスタコ三昧の七味であります。
ショルティは晩年(ショルティには全く似合わない言葉だが)になってショスタコに開眼したみたいで、1,5,8,9,10,13,15番の7つの交響曲録音を残した。伝記によると、きっかけは「証言」を読んだことらしい。このうちの5番と9番がVPOと。残りはChiとの演奏。どの曲もストレートでもって、ど直球な演奏。
8番、9番、10番あたりは録音も含めてかなりイイ線をいっていると思う。13番、15番はやや一本調子な感じがしないでもないが、一途な感じがショスタコには合うのかも。


結果的に選集、という形で終わってしまったが、やっぱり企画としては全集を目指していたに違えねぇ。ただ、デッカにはすでにハイティンクの全集があったこともあって録音が遅れたのかもしれない。7番、4番、12番あたりを是非聴いてみたかった。

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2016年5月22日日曜日

群響第518回定期に行ってきた

行ってきました。高崎へ。群馬交響楽団第518回定期演奏会を聴いてきた。
新幹線で1時間10分ほどで高崎に到着。駅西口から伸びる通りはシンフォニー通り。街を挙げて応援しているようで、なんだかうらやましい。会場の群馬音楽センターまでは徒歩10分で到着。
コンサートまで時間が結構あるにも関わらず、結構な人数のお客さんが開場を待っていた。
当日券の自由席を買ってロビーに入ると良い席を取ろうと、すでに並んでいるお客さんも。開場と同時に席の争奪戦。自分はステージ向かって左の席に腰を落ち着けることに。センターがオープンして50周年ということだが、シートが小さくガタイのデカい七味にはちと窮屈。シートのクッションもスプリングがお尻に痛かった。約1930席のホール。それでも結構ガラガラなんじゃないかと思っていたが最終的にはほとんど埋まっていた。群響すごいね。ホールは席数のわりにはこじんまりとした感じで、かなり残響は少ない、というかほとんど響かない印象。

プログラムは前半に佐藤久成(ひさや)のヴァイオリンでハイドンのヴァイオリン協奏曲第1番。後半はショスタコーヴィチの交響曲第10番。指揮は井上道義。コンサートの前には音楽評論家渡辺和彦によるプレトークがあったが、途中で指揮者の井上も合流するハプニングが。ハイドンは別に指揮者はいらないんだけど・・・と発言。聴衆の笑いを誘った。ショスタコーヴィチについては、体制からの批判はあったが、それに屈することなく彼は自分の書きたいもの、表現したとして、決して暗い音楽ではないんだ、ということを力説していた。

前半のハイドン、初めて聴いた。佐藤久成の艶やか音色と大胆な表情付けが印象的。井上の指揮に乗せられたところもあるのか、時折見得を切るなどこちらも魅せる演奏?とてもロマンチックでアクロバティック。刺激的に思えたです。ハイドンのコンチェルトは要チェック!途中、井上が譜面台に左手をぶつけるハプニングが。結構なコツンッ、て音がしたが大事には至らなかったようで。
メインのショスタコーヴィチ。やっぱり聴けてよかった観れて良かった。
普段オーディオ装置で音楽を聴いていても、当たり前だが眼はあまり動かさないが、コンサートになると音を追って眼がよく動く。ナマのオーケストラの迫力、存在感もモチロンすごいが、この眼と耳の協調が良いんだろうな。
こちらも身振り大きく大胆な音楽の表情が印象的。音の広がりや音の圧の変化で聴かせる。1楽章冒頭の低弦の動機の提示から、すっかり飲み込まれてしまった。なんだか波の上を揺蕩う小舟のように音楽に翻弄される感じがたまりませんワ(by 鴨川つばめ)。2楽章アレグロもそれほど速くはないものの圧というか面で押してくる感じがあって、ナルホドと思わせられる。3楽章、繰り返されるホルン信号はホルンの、どソロの部分はちょっと苦しかったが大健闘でしょうね。ワルツ風のところから3楽章のクライマックスにかけてはとても田舎臭くて大真面目だがとっても滑稽。こけおどし的な感じがよく出ていた。終楽章、中間部のピッコロ・フルートの主題は軽やか。終盤はオケにちょっと疲れが見えたか?少し踏み込みの甘い感じにも思えたがどうだろう。
アンコールは井上の「もう一回聴きたい?」の掛け声とともに2楽章終盤が演奏された。自分が聴けたのはここまで。まだ8時30分過ぎくらいだったので、まだアンコール曲があったかもしれない。急いぎ高崎駅へ駆け足。アンコールを聴かずに帰るお客さんが多かった。電車の都合だろうか。もう少し時間の余裕というか開演時間とかの見直しが必要な感じもする。
今回はプログラムが短かったこともあって日帰りできたが、やっぱりせわしないし疲れた。

それにしても井上の立ち姿、指揮姿にウットリ。小柄な方かと思っていたがスラッと長身。手足が長い。今の日本人指揮者でこれほど魅せる指揮をする人はなかろう。プレトークでは自分は奏者の奏でる音楽を聴衆の皆さんに届けるのが役目、とおっしゃっていたがホントその通りで、身振りで魅せる井上を通してショスタコの熱を感じることができた。

群響、いいなあ~。長野でもいいから来てくんないかな~。

※追記  
 ハイドンのコンチェルトを初めて聴いた、と書いたがスターンのBOXに収められていた。多分聴いたハズ。その時は全然印象に残らなかった。今聴くと良いね、って随分都合がよすぎるが・・・。

群馬音楽センター正面


2016年5月20日金曜日

Rostropovich,R.Serkin / JB Cello Sonatas

いつだったか、20年以上も前になるだろうか。ロストロポーヴィチと小澤征爾が上越にやってきたことがあった。若手奏者を引き連れての演奏会。宣伝らしい宣伝もなく、会場もお寺の本堂での演奏会。それでも口コミで集まった聴衆が本堂から溢れるくらい。その時はハイドンのチェロ協奏曲他を演奏したように記憶している。真夏の昼下がり、蝉しぐれ。じっと聴き入るロストロのチェロに暑さを忘れた。それにしても月並みな表現ではあるが雄弁かつ迫力のある演奏であった。

で、ロストロポーヴィチとゼルキンによるブラームスのチェロソナタ。
このディスク。再生が難しくてちょっと苦手だ。というのもこのブラームスでのロストロポーヴィチのチェロの音は熱量が大きく、重い。おまけに暗い。チェロの録音は中音域~低音域にかけてのエネルギーが大きいことが多く、低音域がぼん付きやすく、もやもやぼわぼわと聴くに堪えない音になりやすい。ちょっとした調整で雰囲気が結構変わる。各帯域のバランスが肝。オーケストラ曲からピアノ曲と、いくつか調整用のディスクがあるが、そんな訳で自分にとってシステム調整の正に試金石。最難関課題のディスク、なのだ。
EQの調整の方向を確かめるために聴いてみたわけだが、低音域が膨らんでしまうことはなく、思ったより聴きやすかった。調整の方向性はよさそう。だけれど、も少し低音域を締めても良いかなという気もする。

持っているブラームスのチェロソナタはコレだけ。コレだけで十分な気もするのだけれど最近になって、毛色の違う演奏も聴いてみたいようなみたくないような・・・。
moleさんイチオシの女流、アンヌ・ガスティネルなんてどうだろう?


POCG-1119

戻りました。

恥ずかしながら戻ってまいりました、といったのは横井庄一。本当は「何かのお役に立つと思って恥を忍んで帰って参りました」「恥ずかしながら生きておりましたけど…」と言ったらしい。
あの頃は確かヨチヨチ歩きだったな。覚えてないけど。

さて、yahooブログに越してはみたけどちょっと水が合わなかったようで、結局出戻って参りました。
ということでよろしくお願いします。