2013年10月19日土曜日

K.Böhm/VPO R.Strauss Ein Heldenleben

ベームは凄い。いや、ベームとウィーンPOのコンビはやはり凄い、といった方が良いか。西遊記のお釈迦様よろしく掌の上でウィーンPOを自在に操っている。この頃のベームにはまだそれだけの力があった。後年、自在に操っているつもりのベームと操られるているように振る舞ったVPO。決して否定的な意味ではない。自分は以前、両者の関係を“コンビ芸”と評した事があるが、これはどちらかが欠けても成り立たないからだ。
英雄の生涯が録音された76年ごろはベームの気力も充実しており、まさに両者の蜜月の時期かと思う。それだけに両者の呼吸はぴったりと合っているのだろう。互いが求め、目指すところが完全に一致している。まるでアイススケートのペアの演技を見ているような錯覚を覚える。録音もまろやかにブレンドされホールの雰囲気がよく表されている。ジャケットも良い。
これはベームとウィーンPOの栄光の記録。残されるべくして残った名盤だと思う。

晩年、衰えも目立ち、十分にオーケストラを統制できなくなったベームをVPOはそれでも支え、盛り立てた。
このような関係を築けた両者は幸せだったことだろう。


2013年10月14日月曜日

G.Solti/CSO A.Bruckner Sym.No.9

先ほどからショルティのブルックナーの9番を聴いている。ショルティのブルックナーというと敬遠される方もいるかと思う。ショルティは全集を完成しているが、自分は4・5・7・8・9番しか持っていない。5曲を聴くといずれもアンサンブルとしての完成度は高いものの、相性の良しあしがあるようだ。

この中でもっとも上手くいっているのは7番のように思う。ショルティはキリリと締まった明快な解釈によって、ブルックナーの交響曲のなかでも歌謡性に富む7番をすっきりと歌わせることに成功している。後半の3・4楽章はリズムで聴かせる音楽になっているので前半楽章キリリ、の方がバランスが良く、ちぐはぐな感じを受けにくいのではないかと考えている。辛口の日本酒のようにすっきりである。
4番はそのキリリが行き過ぎている。オケのメカニカルな優秀さが全面に出すぎ君でロマンティックさが後退した演奏となってしまっている。
8番は落ち着いたテンポで始まる。金管楽器群の突出は相変わらずだがこの曲には合っている。
8番だけサンクトペテルブルクBolshoi Hall of the Philharmonyでのライブ録音。ショルティにはウィーンPO.との録音もあるが未聴である。今度比較してみたいと思う。
5番は構成感重視のであるが、アンサンブルのメカニカルな部分は非常によいが、金管楽器が突出傾向で楽器群のバランスが悪いように思う。それがこの曲のダイナミクスの枠を超えてしまっている、そんな風に感じている。残念賞。

で、9番である。曲のもつ厳しさとショルティの感性がガッチリとかみ合った演奏だろう。金管楽器群がうるさいと感じる向きもあるだろうが、アンサンブルは頭の先から尻尾まで充実しておりクール。ひんやりとした音調の録音もそれを後押しする。ショルティ/シカゴの機能美が光る1枚。

ブルックナー演奏のキモについて上手く言えないが、最近考えていることがある。それは、曲には器の大きさがあり、その器に収まるように演奏することが大切なのではないか、ということ。溢れてはだめだ。楽器間のバランスや響き、アンサンブルの精度の高さももちろん大切だし必要だけれども、それが行き過ぎると音楽を壊してしまったり、損ねたりしてしまうのではないか。他の作曲家もそうなのだろうが、ブルックナーはそのあたりがよりデリケートなのだろうと思う。
マーラーあたりは、もちろん曲を聴いているが、指揮者の解釈だったりアンサンブルに耳が行きがちだ。ブルックナーの場合、音楽がどう再現されているかというところに耳が行く。曲優先といった感じだ。
あんまり頭でっかちではいけないが、ショルティを聴いて考えたしだいである。


2013年10月13日日曜日

娘にねだられ善光寺参り

この3連休を利用して善光寺を詣でた。この夏にも行ったが、境内で熱中症のような症状となり本堂までいって参拝することはかなわなかった。幸いこの日は過ごしやすく、無事参拝することができた。
詳しくは判らないが、本堂参拝時に読経に合わせて本尊の開帳(?)がされていた。その際、お坊さんの読経はスピーカーを通して本堂に響き渡る。きっとBOSEのシステムに違いない。だって・・・。

娘の目的はお参りよりも長野名物のおやきにあったようだ。参拝が終わって仲見世通りでさっそくおやきを購入。2個をペロりと平らげた。この連休、善光寺周辺は駐車場も満車ばかり。七五三のお参りの家族連れが多かったのも要因のようでひどく混雑していた。娘の晴れ着姿も今は昔、近頃は食い気である。トホホ。帰る途中、リンゴ園によってリンゴを1箱購入。さわやかな酸味と甘みが秋を感じさせる。今年の出来も良いようだ。

混雑を避けようと時間つぶしに長野市内の中古レコード店に立寄った。そこでLPを購入。久しぶりのソフト購入。買ったのは、ベーム/VPOの英雄の生涯、ショルティ/CSOのブルックナー9番、ポリー二/アバド/VPOのブラームスピアノコンチェルト2番、カレーラスのトスティ歌曲集の4枚。それからブックオフでベルグルンド/ヘルシンキPOのシベリウス4&7のCD。これで渋滞のドライブの疲れもどこかに飛ぶというもの。楽しみだ。

レヴューはまた後ほど。






2013年10月12日土曜日

K.Böhm/VPO JB Symphony 1-4

セルの全集について先日述べたが、今日はウィーンpo.(VPO)によるJBの交響曲について。
VPOはEMI、DG、DECCAに全集を録音している。バルビローリ(EMI)、ケルテス(DECCA)、ベーム(DG)、バーンスタイン(DG)、ジュリーニ(DG)、レヴァイン(DG)。このうち全集として所有しているのはバルビィ、ベーム、バーンスタインの3種。ケルテスは以前持っていたが引っ越しの折に処分してしまったようで見当たらない。ジュリーニは2番が欠けている。レヴァインは1,2番が欠けている。
VPOは複数の指揮者との全集の録音が多いのではないかと思う。レーベルやセッションかライブ録音かの違いにより音の傾向は異なるが指揮者の違いを堪能するにはうってつけと思う。曲数が少ないこともあって比較的短期間で録音されることが多く、出来不出来の差も少ない。

自分のお気に入りはやはりベーム。アナログ録音後期のセッション録音で各楽器がしっかりとした存在感を持って録音されている。ホールの残響も適度にある。LPは残念ながら持っていないが、特に高音弦楽器の響きが見事。ベームも円熟した指揮ぶりだ。“知・情・意”のバランスがまさに絶妙。特に4番の堅牢な構成感のなかにもしっかりと歌わせるあたりはさすがと思わせる。歌劇場叩き上げの指揮者として、歌謡性に富んだベームの真骨頂と言えるかもしれない。VPOも“ベームの爺さんのために一丁やっか?”みたいな感じである。 
最晩年のベームとVPOは良い意味でコンビ芸だと思っている。オケを十分コントロールできないベームとそれを盛り立てるVPO。しかしこの全集のころは十分にベームの意思がオケに浸透している。ベームの練習はちくちくと新人いびりをしていたらしい。ちょっとイヤなヤツだが、オケも仕方ねえなぁというかんじだったようである。愛されていたのだろう。全集として買うなら、これが一番のおススメである。

と言いつつ、自分はベームの全集はバラでそろえた。3番は高校生のころ京都新京極あたりの十字屋で買った。修学旅行に行った先で買ったわけだ。修学旅行のお土産にCD・・・。今思うと変な高校生だ。変なアクセサリーやキーホルダー、木刀なんかよりよっぽどよいと思ったのだろう。それだけに愛着も深いのだが。

その他のCDについてはまた書きたいと思う。






2013年10月5日土曜日

G.Szell JB Sym.1-4

JB祭りで収穫だったのは久々に聴いたG.セルの交響曲全集。自分が若い頃はなんとも端正に整った演奏でロマン性に乏しい印象が強いという印象だった。セルは大好きな指揮者。やはり古典派の交響曲、シューマンやドヴォルザーク、それに国民楽派の管弦楽曲などは良いがJBには合わないなと思っていた。憂いというか何かブラームスに必要な大エッセンスが欠けているように思っていた。しかし、これが今聴くととってもイィ!
セルという指揮者は吉田秀和が言っているように青磁を思わせる。その佇まいは気品にあふれ人を寄せ付けず凛としている。クリーヴランドo,を鍛え上げ、鉄壁のアンサンブルを作り上げたセル。音楽づくりに容赦はなかったという。もちろん実演を聴いたことなどないし、録音によってしか知らない。乱れのない鉄壁のアンサンブルは驚嘆に値する。が、すべてがすごい演奏というわけではないように思う。完璧なアンサンブルというレベルにとどまってしまっているものも少なくない。むしろ多いかもしれない。けれども何枚かに1枚、そこから突き抜けてとんでもなく凄い演奏をする。そんなところに快感を感じる(ちょっと恥ずかしいけれど)自分がいる。他の指揮者では感じることのない感覚がそこにあるように思う。Tokyo Liveのシベリウスがまさしくそうだ。あとLvB.9もそう。鉄壁のアンサンブルのその先。まるで別次元の世界。声も出ない。
セルはエピックレーベルへの録音が多い。セルというと必ず録音の悪さが話題となるが、自分はあまり気にしていない。晩年、EMIに数枚の録音を残していて、エピックより良いとされる。エピックの録音は今一つだが、セルのソリッドな演奏にはEMIの録音はふくよかにすぎる。シューベルトのグレイトをエピックとEMIで比べると録音年に隔たりがあり解釈やテンポの設定もかなり異なるが、エピック盤のほうjが総じて響きが薄いものの、それがセルのイメージや演奏スタイルにマッチしていると思う。

さて、セルのJBだけれども、この齢になるとコッテリチャーシューメンが胃にもたれてくるように、濃厚な演奏はちょっと遠慮したくなる。若い頃は濃厚コッテリ、ドンと来い!であったから、さっぱりすっきりセルは物足りんかった。それがだんだんと澄んだスープが心地よく胃に染み渡るようにセルのJBがすんなりと身体に入ってくるようになった。そんな感じだろうか。
たとえが分かりにくいな。


                           Comp.symphonies: Szell / Cleveland O +overtures, Haydn Variations 
      自分の所有しているのは画像とは異なる。これは現在入手可能なもの。