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2013年10月14日月曜日

G.Solti/CSO A.Bruckner Sym.No.9

先ほどからショルティのブルックナーの9番を聴いている。ショルティのブルックナーというと敬遠される方もいるかと思う。ショルティは全集を完成しているが、自分は4・5・7・8・9番しか持っていない。5曲を聴くといずれもアンサンブルとしての完成度は高いものの、相性の良しあしがあるようだ。

この中でもっとも上手くいっているのは7番のように思う。ショルティはキリリと締まった明快な解釈によって、ブルックナーの交響曲のなかでも歌謡性に富む7番をすっきりと歌わせることに成功している。後半の3・4楽章はリズムで聴かせる音楽になっているので前半楽章キリリ、の方がバランスが良く、ちぐはぐな感じを受けにくいのではないかと考えている。辛口の日本酒のようにすっきりである。
4番はそのキリリが行き過ぎている。オケのメカニカルな優秀さが全面に出すぎ君でロマンティックさが後退した演奏となってしまっている。
8番は落ち着いたテンポで始まる。金管楽器群の突出は相変わらずだがこの曲には合っている。
8番だけサンクトペテルブルクBolshoi Hall of the Philharmonyでのライブ録音。ショルティにはウィーンPO.との録音もあるが未聴である。今度比較してみたいと思う。
5番は構成感重視のであるが、アンサンブルのメカニカルな部分は非常によいが、金管楽器が突出傾向で楽器群のバランスが悪いように思う。それがこの曲のダイナミクスの枠を超えてしまっている、そんな風に感じている。残念賞。

で、9番である。曲のもつ厳しさとショルティの感性がガッチリとかみ合った演奏だろう。金管楽器群がうるさいと感じる向きもあるだろうが、アンサンブルは頭の先から尻尾まで充実しておりクール。ひんやりとした音調の録音もそれを後押しする。ショルティ/シカゴの機能美が光る1枚。

ブルックナー演奏のキモについて上手く言えないが、最近考えていることがある。それは、曲には器の大きさがあり、その器に収まるように演奏することが大切なのではないか、ということ。溢れてはだめだ。楽器間のバランスや響き、アンサンブルの精度の高さももちろん大切だし必要だけれども、それが行き過ぎると音楽を壊してしまったり、損ねたりしてしまうのではないか。他の作曲家もそうなのだろうが、ブルックナーはそのあたりがよりデリケートなのだろうと思う。
マーラーあたりは、もちろん曲を聴いているが、指揮者の解釈だったりアンサンブルに耳が行きがちだ。ブルックナーの場合、音楽がどう再現されているかというところに耳が行く。曲優先といった感じだ。
あんまり頭でっかちではいけないが、ショルティを聴いて考えたしだいである。


5 件のコメント:

  1. ごめんください。
    ショルティのブルックナー。前、9番を聴かせてもらったことがありました。思っていたより金属的ではなかったように記憶しています。ショルティシモの何枚かをきいて、決してメカニックなのではなく、作品がロマン的なものであればそれを武骨ですが、正直に表現する人なのでは、と思っています。
    ブルックナーは以前は好きではなかったのですが、げんきんなものでステレオを備えたら欠かせなくなりました。マーラーのように華やかさがないので、本質(よくわかりませんが)が勝負というように思います。いろいろあって、楽しいですね。

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  2. CDは持っていたのですが、今回LPを買いました。正直に表現する、とはうまい表現ですね。あの風貌、鋭角的なバトンテクニックとシカゴのパワー&テクニック、そして優秀録音。ついバイオレンスで力技一辺倒な印象を持ってしまいますがおっしゃるように曲の本質を真っ直ぐに、正直に表現しようとしたということなのかもしれませんね。なんとなくショルティの本質が見えた気がします。

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  3. ある有名な指揮者は私から見ると、思いつきや、他者との差別化のためのような演出をしていました。安っぽく感じましたが、それがある面、聞き易さに通じるのでしょう。感じ方は人それぞれですが、ショルティのような信念が感じられませんでした。多様なタイプがあるものです。

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  4. 確かにブレないですね。ショルティ。往年のハンガリー出身の指揮者は正直に表現する指揮者が多いようです。ライナー、セル、ドラティ、そしてショルティいずれもアメリカでの活躍が評価されているのも共通点ですね。今、ショルティの伝記を読み返しています。

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  5. ごめんください。
    今度、こちらへどうですか。
    Please see the e-mail.

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