2015年8月29日土曜日

P.Kletzki / VPO GM1

8月も終わりだ。今年の夏は暑かった~。ほぼ毎日の晩酌。幸い体重は現状をキープできている。
それにしても、忙しい一か月であったな。職場の配置転換に始まり、週一回の研修。金沢出張・・・。
忙しさにかまけて、オーディオはほとんどほったらかし状態で、あ~る(百科おじさん風by ピタゴラスイッチ)。
買ったCDも、本も撮り溜めたTVも借りたCDもほとんど手付かず。何から手を付けていいのやら。全くの思考停止状態に陥っている今日この頃。夏の疲れと相まってズッシリと身体にのしかかる。

そんな中、出張の代休が半日残っていたので、午後、娘を強請られて(ねだられて。決してゆすられてではありません)長岡のアニメイトというお店へ。今ドキのアニメ専門店らしい。長岡駅前の雑居ビルの3階にあった。一歩入ってみると、そこは・・・! アニメのキャラクターグッズが所狭しと並び、リュック背負ったニキビ面のおニイチャンが・・・。ウ~、ダメ!自分は付いていけない。ま、娘に言わせると父の中古レコード店も同じらしいが。
で、その後父は例によってBOへ。4つほどアイテムをゲットしてきてご満悦である。その中の1つ。クレツキのマーラー録音集のご紹介。ポーランドの名匠パウル・クレツキ(1900-1973)は50年代後半にマーラーの交響曲第1番、4番、大地の歌をEMIに録音している。ちょっと前に国内盤で限定発売されたのでご記憶の方もおられるかもしれない。1番のみウィーンPO.で他はフィルハーモニアO.との録音。1番は以前セラフィムで出ていたのを持っていたが失くしてしまった。大地の歌は中古LPで買ったものの、ステレオテイクのモノラル盤の上、盤質が悪く、今のところはレコード棚の肥しと化している。でもジャケットはデザインがナイスなので額装しても良いかな。4番はこれまで未聴であった。
このCD、3枚組で、ディスキーという廉価盤レーベルのもの。現在は廃盤となっている。CD1には1番と4番の1,2楽章。CD2には4番の3,4楽章と5番アダージェットになぜだかテンシュテットの10番アダージョが。CD3には大地の歌とバルビローリ/ベイカーの亡き子を偲ぶ歌というもうちょっと考えて下さいな、というラインナップ。バルビローリの亡き子は名演なのでまあ許すとしてもテンシュテット(こちらも名演ですが)は別に無くても構わない気がする。CD1に1番、CD2に4と5のアダージェット、CD3に大地の歌と亡き子で良かったように思う。敢えて、4番を2枚にぶった斬る意味がわかりませんナ。EMIのライセンス盤なので、なにか契約上の問題なのだろうと思う。クレツキにネームバリューがないのも一因なのだろう。

さて、演奏であるが昔聴いた1番の印象は何だか怒っているように物凄い勢いで突っ走るストレートな演奏でVPOがかろうじて踏ん張っている印象だったし終楽章コーダにカットがあったりして何だか爆演系だと思ったが、今聴くと、よく練られているし、歌うところはたっぷり歌っている。3楽章もコントラバスのソロをはじめ、絶妙な歌いまわしで良い。熱くオケをリードするクレツキ、といってものめり込み過ぎないし、過度な作り込みもしない。どちらかといえばあっさり。曲の持つ美質はコレですよ、とでもいうようにポンッと目の前に出されているような、どこか飄々としたところもある。そうなるとコーダのカットもご愛嬌、のように聴こえるから不思議。
録音は記載がないが場所はムジークフェラインだろう。61年のセッション録音。スーパーにいい録音ではないが不満はない。

考えてみると、VPOの巨人は少ない。シノーポリ、バーンスタインの映像に、ショルティとのザルツブルグのライヴ盤(オルフェオ・ドール)があるが、セッション録音はデッカのクーベリック盤(モノラル)とSONYのマゼール盤と、このEMIのクレツキ盤くらい。後あったかな?で、今回、見事にその3種のVPO盤が揃ってしまった。赤丹かよッ。

4番と大地の歌はまた後ほど・・・。



2015年8月27日木曜日

センレコ

センレコ、とは仙台レコードライブラリーの略。といっても自分が勝手にそう呼んでいるだけだなのだが。HPをみるとSRLのロゴがみられる。
景気は良い(?)しLPの復権が言われているが、中国地方にあるショップはHPの更新が少なくなり、ほぼ、商品の入荷が無いような状態のようである。そんな中、センレコは週2回、水曜と土曜日に通販(商品)リストを更新している。このハイペースさは驚嘆に値する、と思う。まだ行ったことはないが、実店舗もあるようだ。リストをみると良心的な値付けのように思う。盤質はまあまあ。ま、中古LPのことだし多少のキズは仕方ないと割り切れば納得できる。以前、ブログで紹介した、AB面に同じ曲がプレスされたLPもここで購入したものだが、対応はとても丁寧であった。返品を打診したところ、すぐに正常なプレスのLPを送ってくれたうえ、ミスプレスのLPは「どうぞ差し上げます。NABとRIAAとEQカーヴの違いをお楽しみください」とメールがきた。別のLPでも返品・交換にも快く応じてくれた。盤質のグレーディングも誠意を感じる。誠に良心的なお店。

しかし、オークションを眺めても、某中古LPショップを覗いても結構、強気な値段がついている。極力オークションでは買わないようにしているし、某ショップもちょっと高すぎるように思う。値段が高くても欲しい人は買えばいい、それだけのことですなんですが。

最近はあまりLPを買うことが無い。バーンスタインのシベリウスをオクで落として以来すっかりご無沙汰の状態。LPを聴くこともないなあ。ついつい簡便なCDばかりになってしまう。そこにiPhoneの登場で、PCオーディオ、ハイレゾも視野に入って来た感じだ。

さて、どうなる?どうする?

2015年8月23日日曜日

葡萄  Abbado/LSO Ravel Orch.Works

日本テレビの24時間テレビを観ていると、夏も終わりだなあと感じる。今日は曇り。少し蒸し暑かった。
家族でぶどう園にぶどう狩りへ。毎年、この時期になると我が家はぶどう狩りに行くことにしている。今年は暑かったこともあって甘みが強いようだ。
子どもの頃は父親の友人のぶどう園にお弁当を持って行った。ちょっとしたピクニックだ。自分で摘んだぶどうは一段と美味しかったように思う。今は試食のぶどうを食べて、注文するだけなので何だか味気ない感じもするけど、たわわに実ったぶどう棚を眺めつつ外で食べるぶどうはやっぱり美味しい。ぶどうは品種によって穫れる時期が違う。ピオーネ(巨峰の一つ)がやっぱり美味しかったが、お目当てのひとつ、同じ巨峰の藤稔(ふじみのり)はもう少し時期が遅いようで食べられなかった。

最近iPhoneで食事やぶどうの写真を撮ろうと思うと、娘に「女子みたいな真似は止めて!キモイ!」と言われてしまった。でもiPhoneにしてから写真を撮るのが格段に楽になったのは確か。

うな君に借りたアバドのラヴェルの管弦楽曲集。夏の終わりにとてもマッチする。マルティノンやクリュイタンスとは違って、色気が漂うような演奏ではなく真面目なものだが音の数が多く時折、熱に浮かされたような表情を見せる。デュトワの少し後に録音されたと思うが、デュトワのクールさとは対照的だ。


2015年8月17日月曜日

スマホを買った 越後妻有、ブーレーズ/火の鳥

スマホを買った。今更なカンジだが、使っていたケータイの調子が悪いのだから仕方がない。機種はiPhone 6。家族割だかなんだか良くわからない契約もあり、ドコモショップのiPhoneだ。
そこの店員の機種選定や契約時の話は聞いていてもチンプンカンプンで全くわからない。ほとんど妻に対応してもらった。お店では登録してあった電話番号だけを移してもらった。これがソフトバンクなんかだともう少し設定作業などやってもらえたのかも。
さて、帰ってからは初期設定を行ったがこれも良くわからないことだらけ。LINEとyoutubeとあと何かを入れたが夜中の2時まで掛ってしまった。で、なんだか具合が悪くなった。因みに我が家ではこれ(IT関連で具合が悪くなること)を‟コンピューターウイルス病”と呼んでいる。

このお盆は先のブログにも書いたが代休を含めて3日間のお休みが取れた。2日目、3日目は十日町近辺で行われている「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015」に行ってきた。妻有は、‟つまり”と読む。3年に一回開かれるこのフェスティバルはホームページによると

過疎高齢化の進む日本有数の豪雪地・越後妻有(新潟県十日町市、津南町)を舞台に、2000年から3年に1度開催されている世界最大級の国際芸術祭です。
とある。

山間地域や里山の廃校となってしまった小学校や棚田、集落(その多くは限界集落だ)に様々な芸術作品が置かれ、展示されている。その数およそ380点。期間中はイベントやパフォーマンスも行われたりするし、場合によってはそこでの生活そのものがアート、というのもある。2000年、2003年、2006年、2009年、2012年と5回開かれ、今年がその6回目。7月26日から9月13日まで開かれている。
今回は清津と中子、それに峰方・山平の3地区を中心に回って来た。芸術祭、といっても山の天辺だったりするので行くのも大変。ほとんどの人は自家用車で移動する。とはいえ、それも楽な話ではなく山がちなところが多いので急な坂道やカーヴ、といった峠道を行ったり来たりする。駐車場から急な山道を徒歩で登ったりと結構ハード。甘く見てはいけない。タオルや飲料、靴は軽い山歩きを想定しないといけない。サンダルではちょっと厳しい。それなりの準備は必要だ。特に今日は雨が降ったので泥濘が多かった。気温はそれほどでもなかったが思ったより蒸し暑く、それこそシャツがびっしょり濡れるほどの大汗をかいた。
毎回、芸術祭を観に人が全国、世界からやってくる。回数を追う「ごとにその数は増えている。今日(17日)も名古屋から来たというご夫婦にお会いしたし、空色のスーパーカブに荷物をたくさん積んで会場を巡っている外人さんに出会った。こういったお客さんやボランティアでお茶を用意してくれている集落の方と言葉を交わし、挨拶するのもこの芸術祭ならではの楽しみである。

この2日間で一番面白かったのは「モグラTV」。作者の開発好明さんみずからモグラとなって毎日地下のスタジオからTV番組を作成し放送する、という作品。期間中は毎日9時-5時で休みなしで地下に潜っている、と言っていた。畑の中のドーム状の窓に近づくと顔を出して挨拶してくれる。
あとは十日町市のキナーレの近くにあるコインランドリー。これは行ってみてください。びっくりします。
大好きなのは廃校となった校舎を絵本に見立てた「絵本と木の実の美術館」は楽しさと寂しさ、切なさが同居する空間。子どもたちがいた頃を思い出させる、今でも居るんじゃないかと思わされるのがスゴイです。
行った初日には「明後日新聞文化事業部」という展示会場で日比野克彦さんにばったり出くわした。作品の公開作成とトークがあるということだったが、まさかご本人にお会いできるとは。図々しく1枚お願いしたら快く撮らせて下さった。

夏の暑さのなか、普段の生活では味わえないような里山の暮らしを垣間見つつ巡るこの芸術祭は本当に楽しい。
しかし、なんとなく寂しい感じ、というかノスタルジックな気持ちになるのも確か。期間も残すところ1か月。できればもう一度、いや、2回は行きたい。

休憩がてら寄った十日町のBOでブーレーズ/CSOの火の鳥、セーゲルスタムのマーラーの6番、小澤/ボストンのマーラー9番ほかを買った。
ブーレーズのストラヴィンスキーはディスクによってオケが異なる。春の祭典・ペトルーシュカはクリーヴランドO.だし詩篇・三楽章の交響曲はBPO。火の鳥はシカゴO.、とオケの選択が絶妙に良い。火の鳥はやはりシカゴのアンサンブルが大きく物を言っていて、マッシヴな金管がずいぶんと演奏を引き締めている。録音も申し分なし。














2015年8月15日土曜日

Leif Segerstam / Danish National RSO. GM10&8  

立秋を過ぎて暑さも和らいできた。とはいえ、家に帰ると部屋は蒸し風呂状態。エアコンの出番は当分続きそうだ。
このところ音楽を聴く時間があまり取れない中で、最近よく聴いているのがセーゲルスタム/デンマーク放送交響楽団のマーラー8番。10番のアダージョとのカップリングで2枚組。最近、近所のBOで手に入れた。2枚組で1500円はBOにしては妥当な値段か。以前、別のBOで2番と6番を売っていたがそれぞれ2500円と結構強気なお値段の設定。ま、買取り価格が高かったのだろう。で、買うのを躊躇しているうちにどなたかに買われてしまった。

さてこの10番・8番だが録音がすこぶる良い。ものすごく良い。8番は93年の録音。どなたかがhmvのレヴューに書いておられるが1,2を争う好録音。自分の中ではBISのヤルヴィ盤と双璧か。シャンドス特有の豊かなホールトーンと音の広がり、潤いに満ちた響きはそれだけでもう、カタルシス。スカッとすること請け合いだ。
セーゲルスタムの指揮も、巷間言われているほど変なものではなく、デフォルメするものの不自然なところは少ない。作曲家でもあるセーゲルスタムの読みはあくまで自然で優しい。ブーレーズのようなソリッドな解釈、演奏はせず、ゆったりと適度にロマンティック。サンタクロースのような風貌がそのまま音楽になったよう。録音と相まって凝集する、というよりは外へ外へと広がる音楽が展開する。オケや合唱、ソリストの力量もこれといった不足はないように思う。
セーゲルスタムのマーラーは全集のセットも含めてすでに廃盤となって久しい。再発を望むが無理だろうな。中古をコツコツと探そうか。

8番は小澤/BSOを最初に買った。高校生の頃のこと。当時は輸入盤の日本仕様で、まだまだCDは高価。確か6600円もしたハズ。それこそ清水の舞台から飛び降りる、であったな。あのころのCDは蒸着技術の不確かさなのかハードの技術的問題なのか、音飛びなど再生に支障のあるディスクがあった。買ったCDも音飛びがした。もうがっくり。お店に持っていき、何とか交換してもらえた。小澤のディスクはいま聴くと録音、演奏ともに少々物足りない感じがする。丁寧に音を拾っていて、とても真面目な演奏なのだが、演奏に精一杯な感じでやや一本調子。祝祭的な感じに少し欠けるかな。やはりもう少し突き抜けた感が欲しいところ。テンポ感などは自分の基準となっているけれど。8番は快速派好みの自分。今、出番が多いのはやっぱりBISのヤルヴィ盤かな。これもセーゲルスタム盤に負けず劣らずの好録音。


この週末は先週の出張の代休が取れたので3連休。好きな音楽を好きなだけ聴こうか。

※スキャナーの調子が悪いため今回、画像はないです。


2015年8月12日水曜日

30年

今日、8月12日は日航ジャンボ機墜落事故から30年。30年前の今日もなんだか蒸し暑かったこと、夜になって飛び込んできた臨時ニュースを食い入るように見ていたことを思い出した。というのも発表された乗客名簿、カタカナ表記のそれに親戚の名前があったからだ。見えもしない群馬県御巣鷹山の方角を見やり、心配で胸が張り裂けそうであった。幸いにもその親戚とは連絡が取れて、同姓同名の別の方であったことがわかった。家族一同随分と肝を冷やしたあと、ほっと胸をなで下ろしたことを覚えている。
今思い返してみると、しかし、我が家とは別のご家族が悲しみに暮れることになった訳で、なんだか申し訳なさと言い様のない無常さを感じてしまう。先日NHKでは墜落現場の確定、発見まで16時間もかかってしまったことの検証番組を放送した。もっと早くに墜落現場が判明していれば事故に遭われた家族が助かったのではないかという思いが拭い去れず苦悩するご遺族の姿がそこにはあった。
何ともやりきれないし、30年という年月を考えるといたたまれない思いがする。

皆さんはどんな思い出をお持ちだろうか?


2015年8月5日水曜日

花火

今日は花火の思い出をば・・・。
8月2日、3日は長岡の大花火。花火は基本、雨が降っても打ち上げられる。今年は天気に恵まれたようでなにより。
自分がまだ独身のころ、毎年のように富山に住んでいた学生時代の友人と一緒に花火を見に行ったものだ。友人の結婚を機にこの行事は途絶えてしまったが。その昔、キンさんギンさんが佐渡が島をまわって長岡の大花火を鑑賞された年があった。その時我々も花火大会の会場にいたのだが、打ち上げ前から何やら怪しげな雲行き。遠くで雷もゴロゴロと不気味に鳴っていた。
女性司会者の「打ち上げです!」の声とともに一発目が上がり、空中でさく裂したかと思うと、ドバーッと、ものすごい雨。まるでバケツをひっくり返したような雨が降って来た。あとでテレビ中継を見たらキンさんギンさんはテント席だったが、それでも結構な濡れようだった。もちろん我々は信濃川の河川敷にレジャーシートを敷いての観覧だったので全身ずぶ濡れ。しかも土手の上のほうから滝のように雨水が流れてくる始末。サイアク~。
きっと花火の衝撃波が雨雲を刺激したに違いない。

今日、ローカルのテレビで長岡花火の中継をやっていた。しかしテレビで観る花火ほどつまらないものは無いんじゃないか。画が小さい、ということもあるが、問題はやはり音だろう。あのズシンと腹に響く低音。あれが花火の醍醐味の半分を占めている、ように思う。ついついこの低音がウチのシステムで出ないかなあと、あの音を感じながら考えてしまう。アホである。あれはアノ場所だから体験できることなのにね。テレビのスピーカの性能は判らないが、テレビでは無理だろう。あの低音。当たり前だが。

長岡の花火は正三尺玉もスゴイが打ち上げ場所が近いのも魅力。大輪の花がまるで頭上でさく裂する様は、まるで花火を浴びるよう。その感覚に痺れてしまう。そしてド迫力の炸裂音に心まで揺さぶられる。なんだか除霊で身体をユサユサ揺すられている感覚。悪い憑き物が落ちるようで自然と泣けて来てしまう。

またあの場所で観たくなった。来年は家族を連れていきたいものだ。

2015年8月1日土曜日

Daphnis et Chloé  Martinon vs. Cluytens 玉音放送の原盤が公開

「ダフニスとクロエ―」はロンゴスによるヘレニズム期の物語。共に捨て子だった二人がそれぞれ羊飼いと山羊飼いの夫婦に拾われるところから物語は始まり、恋の神エロスやニンフ、牧神パンの助けを借りながら、すったもんだの末に二人が裕福な家の子どもであったことがわかり、最後には目出度く結ばれるというお話。現在ではなんだかまどろっこしい話の展開だが、ぎこちなく愛をかわす(エッチはしない。キスやお互いの身体をなで回すだけ)場面などは初々しさがあって結構たのしく読んだ。

ロンゴスの物語を基にしたラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」。物語を忠実にはなぞってはいないようだが、原作にあるギリシャの風景(レスボス島を舞台としている)や雰囲気に溢れている。自分にとってはむせかえるようなギリシャの田園風景やエロスと愛らしさの並立する抒情性がなんといってもこの曲の魅力か。

以前は組曲盤をよく聴いていたけれど、原作を読んで以降、全曲盤を聴くようになった。デュトワ/OSM、モントゥー/LSOにギーレン/SWR、それにマルティノン/パリO.、最近クリュイタンス/パリ音楽院O.盤が加わり、これで全曲盤は5種類となった。
ギーレン盤は結構好きな演奏だけれどもトラックが1つしかないという何とも不親切なディスク。
マルティノン盤は74年の録音。官能性、ということではピカイチかな。何だかとってもエロス!。恥ずかしいけれど聴いていると村々してくる。上から下まで艶やかで厚みのある弦の響きと張りのある、でも決してやかましくならない金管楽器。そして何といっても隅々まで瑞々しい木管楽器。パリ管というとミュンシュの幻想やブラ1のように、豪快で動的な反面ややもすると雑に聴こえてしまう(もしくは雑な)演奏というイメージが強いけれども、マルティノンが振るとこんなにもエレガントになるから不思議。

パリ管は67年にパリ音楽院O.を解体、再編して鳴り物入りで作られたオケ。ショルティの自伝では、実際はミュンシュがパリ音楽院O.から56人の奏者を引き抜いてオーケストラの基礎としたためミュンシュにとってはやりやすかったが、その後のカラヤンやショルティ自身はとても苦労したと書いている。また、パリ管はいいオーケストラではなかった。規律を欠き、全体の水準にむらがあった、とも書いている。そのショルティも5年契約の3年目(75年)にバレンボイムを推挙して辞任してしまった。ここからは推測の域を出ないのだが、カラヤンとショルティはオケのメンバーをかなり入れ替えオケの体質改善を図り機能的なオケに変えていったのではないか、と思う。その成果がマルティノンのラヴェルに表われているように思えてならない。どうでしょう?
マルティノンはこの録音の2年後、66歳(若杉!)で他界してしまった。

クリュイタンス盤はパリ管となる前の62年の録音。マルティノンの12年前ということになる。
クリュイタンスの音楽はラヴェルに限らず、ドイツ音楽、フランス音楽ともに音楽のバランスが良い、と思える。ドイツ音楽にはフランス風の軽みがあり、フランス音楽には適度なドイツ的重厚さが備わっている。ベルギー人クリュイタンスの面目躍如といったところ。ダフニスとクロエにもそれが当てはまるように思う。ラヴェルといえどもモヤモヤ・フワフワしない。しっかり地に足が着いた演奏。オケも水準が高い。音もART(アビーロードテクノロジー)で適度に角が取れて聴きやすくなっている(画像は別の盤です。スキャナーの不調で差し替えています)。マルティノンほど官能的ではないがモダン、かつ適度な熱を持ち、聴いているコッチがグイグイと惹きつけられてしまう所はさすがの一言。惹きつけておいてバッサリ。ヤラレタ感。コレが魅力である。

さて、どちらに軍配をあげようか?迷うところであるが、ここは引き分けとしたい。ホント甲乙つけがたし。ダフニスとクロエの川中島(の合戦)や~(彦摩呂風)。


終戦記念日を控えた8月1日、終戦70年を期に玉音放送の原盤の音声が公開された。天皇陛下のご意向とのことだ。宮内庁に保管されていた原盤(2組あり2枚組と3枚組、計5枚)を修復しデジタル録音したもの。ニュースで観た(聞いた)ものは今まで耳にしていたものと違い、昭和天皇のお声はやや高く、驚くほど鮮明で音が良かった。くぐもった感じはなく、すっきりとした音調であった。これまで耳にしていたものはややピッチが低かったらしい。公開された音声はこれまでのものより10秒ほど短いという。やはりオリジナルは音質が良いということか。宮内庁のHPでも公開され、こちらの方はパチパチノイズがあるが、さらに良い音で聴ける。

半藤一利「日本のいちばん長い日」の中で日本放送協会の職員が入念に準備をし録音に臨む、というシーンが出てくる。当時、天皇のお声を録音し、その声を国民が耳にするということは畏れ多いことであって、今だ嘗てなかったことだった。間違いは許されず、それだけに音質にも細心の注意が払われたのだろう。天皇は2度に渡って詔書の朗読を録音されたという。正副2組が作られ、放送では2度目の録音(テイク)?である「正」盤が使われたようである。
原盤のアセテート盤は宮内庁に保管されていたということだが、ウィキペディアによるとアセテート盤はアルミ円盤にニトロセルロースをコーティングしたもので、後の塩ビのレコード盤に比べ強度が劣り、湿度や経年劣化でコーティングが剥離しやすいとのこと。よく保存されていたものだと思うし盤の痛みがひどかったようだがよく修復できたものだと思う。

岩波文庫 赤112-1 1987年

EMI 5 00892 2

東芝EMI TOCE-59036