週末単休明けの月曜日の当地は最高気温37.8度とこの日の全国一位となった。台風によるフェーン現象。毎年一回はこんな時がある。
仕事でエアコンのある屋内に居ても蒸し暑かった。外に出ると”ふゎぁぁ”と言った感じで毛穴が開き体温よりも高い気温に身体がバグってついて行かない。
仕事から帰ってのビールと前日の残りものではあったが冷や汁が美味かった!
ネットでローカルニュースを眺めていたら、十日町で室内楽の演奏会があることを知った。インテグラ弦楽四重奏団。初めて見る名前だが面白そう。ハイドンのロシア四重奏曲の第1番とヤナーチェク、シューベルトのロザムンデという曲目。
という事で東京の前日だが行くことにした。
前回、オーディオアクセサリーについて書いたらすかんぴんさんもアクセサリーについて記事を書いた。ウィッチの記事を読んでのことなのではないかと思っている。別に気を悪くした、とかそんなのはない。
アクセサリーについて肯定も否定もしない。全くアクセサリーを使っていないオーディオ好き歯いないのではないか。もちろんウィッチも使ってるし。
すかんぴんさんのトコのコメントにも書いたがオーディオアクセサリーの定義としては無くても音がでる小物類ということになるだろうか。
そうすると、電源ケーブルやその他接続ケーブルはアクセサリーには入らないことになるがどうだろう。ケーブル類は機器本体、アクセサリーとは別として良いように思う。ケーブルも結構嵌ってしまう人が居るようだし、価格もピンからキリまで枚挙にいとまがない。
最近SNSで気になるのが某アクセサリーメーカー(ウィッチもその製品を使っている)とその一(いち)ユーザーの発信。
そのメーカーの製品をそのユーザーがべた褒め。
そのユーザーがまるで教祖を崇め奉る信者のよう。具体的な言及は避けるけれども。
そこのアクセサリー自体にも効果は有るのだろうと思う。しかしそこは好みや個人の環境に大きく左右されるものであって一括りにして良いとか絶大な効果が、は言えないと思うのだが、使わないのは損をしているとかなんとか言っている。
問題はアクセサリーメーカーにもあるように思う。
アクセサリーの効果を数値として提供できないので官能的な美辞麗句を並べて消費者の歓心を買うしかない。まあそのメーカーのフィロソフィーみたいなものもあるのだろうが、効果に対してではなくメーカーの考えや思想を反映した製品を買う、みたいなことになりやすい。高いお金を払ったのだからというバイアスも掛るだろうことは容易に想像できる。
これは新興宗教に似ているのではないかと最近強く思う。
この壺を買い、毎日教祖をあがめれば幸せになれる。さらにお布施を積めばさらなる明るい未来が待っている。
このアクセサリーを使えば素晴らしい音になる。さらに別のアクセサリーを使えばさらに良い音になる、とそんな感じ。
幸せも良い音もコレと言った明確な基準はない。その人の感じ方次第だ。
それなのにこの壺(アクセサリー)を持っている自分は幸せ(良い音)で、持っていない人、教祖の教えを知らない人は幸せ(音が良くない)でない。幸せ(良い音)になりたい(したい)なら壺(アクセサリー)を買え、教祖の教えを聴けと言うのはとても乱暴な話に思える。
宗教というのは基本、多様性を認めないものだと思う。今のイスラエルとイランを見れば一目瞭然だ。
でもオーディオはそんなものではないはず。良い音へのアプローチは様々。そこが面白いのに。自分(達)の方法や音しか認めないような考えはちょっとおかしいのではないか。
まあ、直接押しかけて来たり強要するわけではないので実害はないものの、目にするたび不快になる。
そのユーザーはまた機器について俺の女、と言った表現をしばしばする。これも正直気持ち悪い。無いわ~、ソレ。
皆さんはどう思われます?
もう台風北上で今年は先が思いやられますね。
返信削除オーディオアクセサリーにケーブルを
含めるかは大きな争点な気がします。
オーディオ好きな人の多くは
ケーブルをアクセサリーと認識してるでしょうから。
以前からカルト的人気のアクセサリーメーカーは
存在してますね。
アクセサリーで音は変わりますが
それはほんの少しの微調整的な
効果しか無いと最近は思っています。
まあそれも人それぞれですね。
今週は暑かったです。暑さもですがこちらは雨がほとんど降らないうちに梅雨明けしてしまい、すでに水不足で節水のお願いが市から出ています。こちらの方が心配です。
削除アクセサリーで激変、と言うのはある程度の効果は有るのでしょうがあまり信じていません。メーカーに対する妄信は頂けないと思っています。