昨日は仕事で遅い妻と一緒に夕飯を食べようと思い、ビールをグビグビとやって待っていた。が、いつまで待っても帰ってこないので、仕方なく(?)、先日頂いたワインの栓を抜き、2時間ほどで結局1本開けてしまった。案の定ベロベロとなったところで帰って来た妻には怒られる始末。なんだかなぁ~。だって遅いんだもん。
さて、デイヴィスの大地の歌は81年録音のデジタル初期の名盤。学生のころに買って、持っていたはずだがいつの間にか手元から消えてしまった。確かワルター/NYPと、同じくワルター/VPOの次くらいに買ったんじゃなかったっけか?
今日、娘の矯正歯科に付き添った帰り、BOに行ったら棚にさりげなく置いてあった。これはと思いゲット。西ドイツプレスのCD初発盤。懐かしいことこの上ない。CD初期の海外プレスは持ってみると大概、重い。解説書がぶ厚くケースがしっかりしているのだ。ディスクはちょっとキズが多いけれどディスクの内周までアルミが蒸着されているし、プリントもしっかりしているところが「あぁ、昔のCDはこうだったなあ」と感慨も一入。
大地の歌のベストは、やっぱり刷り込みなのか最初に買ったワルター/NYPのLP盤。高校生の頃に買ったソニーのLPを長らく愛聴していたが、今はちょっと前に買った日本コロンビア盤のLPを愛聴している。CDも買ってみたがLPの方が音がいいのでほとんど聴いていない。
大地の歌というと2人の独唱者はやっぱり重要。テノールが先日訃報が伝えられたヘルデン・テノールのジョン・ヴィッカーズ(この時57歳)と、アルトはメキメキ頭角を現してきたジェシー・ノーマン(当時35歳)という組み合わせ。ノーマンはソプラノでありながらメゾもカバーする声域の広さを持つ。どちらもドラマティックな歌唱ながらヴィッカーズはやや軽めの声質だし、ノーマンは重暗い声が持ち味。初めて聴いたときはこの曲に合わないように感じたものだ。とくにヴィッカーズの声質がこの曲には明る過ぎるような、明け透けな歌唱に思えてしまい、深みが無いなあと思っていた。恥ずかしい話だが当時は歌手に疎く、あまりの声の若々しさにヴィッカーズを若い新進のテノール歌手だと勝手に思いこんでいた。
今改めて聴いてみると、この明け透けな感じが率直さや素直さ、さらにちょっとヤンチャな感じが出ていて新鮮に聴こえるから不思議。そして2人の声の質の違いが楽章ごとの性格の対立を生んで奥行きを与えている。
デイヴィスはハイティンクとともにフィリップスの看板指揮者として、中堅から巨匠へとステップアップし始めるところだっただろうか。ACOとのストラヴィンスキーの3大バレエやボストンSOとのシベリウス全集、シューベルトのグレイトなど現在でも評価の高い録音を残している。この録音ののち、サーの称号を得て、さらにはバイエルン放響の音楽監督に就任している。
レコーディングでは特にマーラーを得意にしていなかったデイヴィスの大地の歌は、妙に思い詰めたり、諧謔性を強調したりしない。健全で変ににうらぶれた感じがしないところが良い。1楽章の冒頭ホルンの斉奏からキビキビと音楽が進んでいき、終楽章では36分をかけてたっぷりと歌うが推進力があるせいか遅いとは感じさせない。そう、デイヴィスは推進力の人。少々強引にグイグイと音楽を引っ張っていく。
録音は初期デジタル録音特有の中音域は厚く、少々音の縁取りがキツイ印象はあるもののの、それでいてレンジが広く透明感がある音がする、と思う。フィリップスはCD開発メーカーだけあってかCD初期の録音でもよい音のCDが多い。実にCDらしい音がする。デジタル臭いと言えばそうなのだけれど・・・。
あ、あとジャケットが抽象画っぽくていい。あとはやっぱり赤いラインに白字でPHILIPSの文字。フィリップスはこれでないと、という気がする。
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PHILIPS 411 474-2 |