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2015年2月15日日曜日

G.Szell/ The Cleveland Orchestra

土曜日は午後から歯科の受診。右奥歯のかぶせものを外すという治療。コレが・・・、結構キツかった。あまり口が大きく開かない自分。指3本がやっと入るくらい。何分かわからないけれど、ずっと口を開けておくのはかなり苦痛だ。鼻での呼吸ものどちんこが押し付けられてうまく呼吸できない。治療台というか椅子に座って横になって口を開けているわけだが、何をされているか基本分からない状態も怖い。キュィーンという音と顎に響く振動と口の中に広がるなんだか苦い感じで見当をつけるしかない。先生の「コリャ駄目だな・・・」というつぶやきにおののいたりして・・・。俎の上の鯉であある。でもなんで鯉?

ジョージ・セルは今年で没後45年。私が生まれた年にセルは来日し、その2か月後に亡くなった。
このコンビを初めて聴いたのはバルトークのオケコンのLP.廉価盤で1300円。中学生のころだった。それこそ繰り返し聴いたものだ。曲がそうなのかもしれないが、なんともスタイリッシュな曲・演奏に思えた。当時は気にも留めなかったが、ブラームスなど録音の良くないものも多い。まぁこれだけまとまった録音が残されたことに感謝である。当時のCBSのセカンドレーベル、エピックだから音が悪いとよく言われるが、CBSは全体に録音の水準は低かったように思う。
その後も没後20年とか30年記念といった折にまとめて発売されるCDを中心に揃えてきた。実演を聴いたことはもちろんないのだけれど、なんとなく録音と音楽がマッチしているようにも思う。実演はもっと真っ当な音がしていたのだろう。吉田秀和は「中国の陶器のようなひんやりとした清らかさと滑らかな光沢を具えた硬質の感触」と評していた。確かめる術がない今はCDでこのコンビの芸術を偲ぶしかないのだろう。このコンビのライブ録音がもう少し発掘されないだろうか。

セルの音楽は知情意のバランスでいえば知と意が勝り、情は控えめ。このコンビを冷たい、無機的でつまらない演奏するという人もいる。録音が悪いと切り捨てる人もいる。そのように聴こえるのなら仕方ない。でも、その突き抜けた先にある音楽の素晴らしさ凄さがふっ、と立ち現れることが時折、ある。そこに自分は興奮を覚え、セルに戦慄する。しかし突き抜けたと思わせる演奏が少ないのも事実。曲にもよるのだろう。そのなかでもシューベルトの「グレイト」とLvBの9番の2曲。この2つは音楽のその先へ突き抜けた演奏の筆頭。グレイトには70年のEMI録音があり、そちらの方が評判は高い。けれども自分は57年のCBS盤を取る。音楽を膨らませず速いテンポで強い推進力をもって曲が進んでいく。構成感、リズムの強靭さでもって聴かせるが、そこから旋律美や優雅さが立ち上る演奏。ベートーヴェンはソリスト、合唱まで意志の隅々にまで行き渡った怜悧な演奏。ベートーヴェンのあるべき姿、理想の姿がそこにあるように思えるのだ。何度聴いても背筋がゾクゾクしてしょうがない。
こんな指揮者はもう二度と現われまい。すべてが明晰。曇りのない音楽。真善美を備えた音楽。
音楽の真善美を追い求め、手にすることができた音楽家だったのだと思う。
それがセル/CLE。私の永遠のヒーロー。

SRCR 9871
没後30年を記念したシリーズの1枚
CSCR 8192
没後20年を記念したシリーズの1枚
CSCR 8191
シューベルトと同じく没後20年を記念したシリーズの1枚



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