連休明けの一週間はいつもよりも長く感じ、疲れもした。四月に戻ったような寒さも身体に堪えた。
職場は連休明けすぐに空調の冷暖房の切り替えしたため、暖房は使えず。まるで冷蔵庫のなかにいるような状態であった。
アンプは依然としてご機嫌ナナメなことが多くて、宥め賺しながら使っている。
そんなこんなで、自分に活を入れる意味も込めて、今週はカラヤンのブラームスを繰り返し聴いた。
ちょっと前の
ブログにカラヤンとベルリンフィルのベートーヴェンの8番と9番を買ったことを書いた。
先日、思い立って80年代に録音されたブラームスの交響曲を聴こうと思い、箱の中を探すもあったのは60年代に録音された全集(バラ)のみ。こちらもいつの間にか処分してしまったらしい。
HMVの中古CDに3枚組のものが出ていたので購入。ベートーヴェンの4番・7番、それに5番・6番のCD。それにムーティのローマ3部作も合わせて買った。
ベートーヴェンの交響曲全集は82年~84年に集中的に録音されたが、ブラームスは86年~87年とこれまた集中的に録音されており、カラヤンの執念のようなものが垣間見える。
録音に関しては後発のブラームスの方が幾分洗練されているように思う。ベートーヴェンの方は先の8番、9番、それに今回購入の5番・6番は初発盤で、4番・7番はOIBP盤。初発盤である5,6,8,9番は分離感が悪く音がやや団子状態で、細部が聴き取りにくい。OIBP盤の4番・7番は随分響きがスッキリとして聴きやすくなっているように思う。
ブラームスは発売当時、優秀な録音と思っていたが、その後に録音されたアバド/BPh.による全集を聴いた耳では今聴くとやっぱり分が悪い。こちらもOIBP盤の方が良いのかもしれん。ちなみに今回買ったのは全集初発の輸入盤と思しき非OIBP盤。
久しぶりに聴くカラヤンのブラームス。いや、コレ買って(買い直して)良かった~、と思える素晴らしい演奏だった。何で手放した~?自分?
カラヤンのオーケストラドライヴが凄まじいことに。時期的にはザビーネ・マイヤー事件が両者に禍根を残したとはいえ、一応収束した後の録音にあたる。この前後、WPh.との録音を再開したカラヤン。ベルリンがウィーンに対抗心メラメラ、となったかどうかは何とも言えないが、両者がかなりアツい演奏を繰り広げているのは間違いナシ。
ちょっと前、久しぶりに小澤征爾と村上春樹の対談本「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を読んだ。
その中で、ディレクション(音楽の方向性)について、小澤征爾がこう言っている。(文庫版 47頁)
「ディレクションという言葉がありますよね。(中略) 音楽の方向性。それがカラヤン先生の場合は生まれつき具わっているんです。長いフレーズを作っていく 能力。(中略)カラヤン先生の場合はひとつの意思として、まっすぐ意欲を持ってやっていくんです。ベートーヴェンの場合なんかね。あるいはブラームスの場合。だからブラームスなんかやると、そういう意欲はカラヤン先生の場合、もう圧倒的に強いです。ある場合には細かいアンサンブルなんか犠牲にしてでも、そっちの方を優先します。(中略)」
「要するに細かいところが多少合わなくてもしょうがないということです。太い、長い一本の線が何より大切なんです。それがつまりディレクションということ。(中略)」
カラヤンの80年代のベートーヴェンやブラームスを聴くと、このディレクションの意味がよく判る気がする。ベートーヴェンはアンサンブルも粗い。統率力の低下の結果ともいわれるが、若い頃の格好つけなところは随分と鳴りをひそめている。老カラヤンのなりふり構わぬ、悪く言えばあられもなく、強い意思を前面に押し出た音楽の推進力にすっかり参ってしまった。
ブラームスにしても、どうしても”カラヤンの”ブラームスを聴く、といったカッコ付の音楽になってしまうが、これがディレクションというコトなのだと思う。
”カラヤンのブラームス”、大いに堪能した一週間だった。
さて、今朝、長野県北部を震源とする震度5弱の地震があった。緊急地震速報が流れたものの幸い、当地は身体に感ずるほどの揺れは感じなかった。
被害に遭われた方にはお見舞い申し上げる。
その後も余震は続いているようだ。怖いのは、これが本震でなく前震、という可能性。熊本の地震以来、油断できなくなった。
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DG 427 602-2 |