さて、引き続きクーベリックのマーラーを聴いてます。クーベリックのマーラーを初めて聴いたのは8番でした。コレが良かったんだな。それで全集を買った。8番は全集録音の最後、71年の録音である。録音場所はミュンヘンのドイツ博物館大会議場(コングレスザール)。我が家のシステムで聴く限りは、録音はこの巨大な編成を余すところなく捉えてはいない。トゥッティではさすがに混濁気味のところも見受けられ、少々聴き苦しいのではあるが、折々、美しいオケ・合唱の響きが聴ける、CD1枚に収まってしまう快速系。第1部が21m53s、第2部が52m03sの計74m56s。しかし最近は1枚で収まってしまう演奏も多くなった。高速ながらも前のめりではないが、推進力に溢れた演奏で、やはり「熱」を持っている。
さて、渡辺護はこの全集のライナーノートに、
クーベリックは1950年から1954年まで、アメリカのシカゴ交響楽団の指揮者をつとめたが、多くのマーラー作品をこの都会では初めて演奏し、彼はマーラーメダルをさずけられたのである。と書いている。
マーラーのディスクのライナーを読むとよく出てくるこのマーラーメダル。どういうものかと思い、国際マーラー協会のHPをみてみた。
このマーラーメダル、マーラーの作品の紹介や理解、協会の活動に貢献した人、団体に贈られるもので58年に設立されたものらしい。これまでの受賞者は以下の通り。
引用: 国際マーラー協会HPより http://www.gustav-mahler.org/Previous recipients of the Mahler-Medal:
- 1958 Carl Schuricht
- 1958 Eduard van Beinum
- 1958 Concertgebouworkest Amsterdam
- 1958 Rotterdam Philharmonisch Orkest
- 1958 Eduard Flipse
- 1958 Herm. J. Nieman
- 1960 Rafael Kubelik
- 1960 Dimitri Mitropoulos
- 1966 Utrecht Orkest
- 1966 Dresdner Philharmonie
- 1967 Leonard Bernstein
- 1969 Wiener Symphoniker
- 1971 Bernard Haitink
- 1974 Kyrill Kondraschin
- 1974 Joseph Krips
- 1974 Hans Swarowsky
- 1979 Residentie-Orkest Den Haag
- 1980 Wiener Philharmoniker
- 1980 Alice Strauss - posthum Franz Strauss
- 1980 Christa Ludwig
- 1980 Dietrich Fischer-Dieskau
- 1980 Carlo Maria Giulini
- 1981 Städtisches Symphonieorchester der Stadt Münster
- 1981 Alfred Walter
- 1982 Vaclav Neumann
- 1982 Eleonore and Bruno Vondenhoff
- 1984 Federico Sopeña Ibáñez
- 1985 Claudio Abbado
- 1985 George Alexander Albrecht
- 1985 Niedersächsisches Staatsorchester Hannover
- 1987 Donald Mitchell
- 1996 Marjana Lipovšek
- 1996 Rafael Frühbeck de Burgos
- 1997 Edward R. Reilly
- 1999 Thomas Hampson
- 2005 Henry-Louis de La Grange
- 2005 New York Philharmonic Orchestra
- 2005 MahlerFest Colorado
- 2005 Gustav Mahler Committee Toblach
- 2007 Vladimir Fedoseyev
- 2007 Knud Martner
- 2007 Peter Weiser
- 2012 Jiří Rychetský
一覧をみると、クーベリックは指揮者としてはシューリヒト、べイヌム、フリプセについで4人目。バーンスタインより7年も早いことに驚かされる。意外なところでは74年のクリップス!現在の認識では全くマーラーを振りそうもないように思われるが、いったいどんな功績があったのだろうか。謎であるが、70年~73年の間、ウィーンSO.の芸術顧問を務めていたようなので、そこで何かあったのではないかと思う。クリップスのマーラー、聴いてみたいものである。そのウィーン響も69年にメダルを授与されている。67年のウィーン芸術週間のマーラー特集でウィーン響とオーストリア放響が中心(分担した割合は不明だが放響よりも多かったのではないか?)となったことがメダル授与の理由ではないかと思う。また逆に、いわゆるマーラー指揮者であるショルティやクレンペラーには授与されていない。団体ではオランダのオケが多く、メンゲルベルク以来のマーラー演奏の伝統を感じる。
渡辺はライナーのなかで「多くのマーラー作品をこの都会(シカゴ)では初めて・・・」と書いており、クーベリックがマーラー作品のシカゴ初演を多く手掛けたことを示唆している。興味が沸いたので、ネットで探してみたらありましたよ。演奏会記録。結論からいうと、渡辺の記事は誤り。確認できたところでは50年12月に5番、51年4月に大地の歌、52年1月に1番を指揮したのみであった。渡辺がいうように数多く演奏しているという印象は持てなかった。この他には69年1月に客演して9番を振っている。
クーベリック退任後、ライナー、マルティノンの時代を経てショルティが音楽監督となったことはご存じのとおり。
その後のシカゴ響のマーラー演奏はクーベリックによるオーケストラの地ならしができていたからこそだった?なんて想像をしてみたが残念ながらハズレだったようだ。
そうすると、60年のクーベリックのメダル授与の理由とは何なのだろう。謎である。
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