そういえば朝、起きての窓を開けての一服の時も吹いてくる風が涼しくなったなあと。
今日はぶどう園へ。今年の葡萄も暑かったせいか、甘味が強く美味しい。時期によって出てくる品種が変わるので、できることならあと2回は行きたい。
上越市高田の繁華街、仲町には一軒、昔ながらの古書店がある。名を耕文堂という。仲町で飲み会があると、少し早めに職場を出て、必ず立ち寄る。あまり大きな店ではないが、木枠のガラス戸をガラガラっと開けると趣ある店内に立ち込める古本の匂いがなんとも良いです。
先日、そこで入手した諸井誠 著 「音楽の現代史 -世紀末から戦後へ-」 岩波新書 が読んでいて面白く、この本に出てくる曲を手持ちのCDでポツポツと聴いている。
シェーンベルクのバイオリン協奏曲が気になって聴いてみた。というのも、この本の中でルネ・レーボヴィッツ(多分、指揮者のルネ・レイボヴィッツのこと)がこの曲を「彼の全創作活動の頂点」と高く評価している、という記述があったからだ。しかし、それほどシェーンベルクの音楽を聴き込んでいるわけではないし、シェーンベルクの生涯や作品の成立過程を理解しているわけでもないので全創作活動の頂点、と言われてもピンと来ないのだが。聴いてみると十二音技法で書かれてはいるが、調性感のある、なるほど中々にリリシズム溢れるロマンティックな曲ではある。
さて、話は変わって、オーディオは依然として微調整が続いている。
今週に入って、ふと今我が家で鳴っているこの音は果たして本当の音なのか?と考えてしまった。
何を言っているんだ?(自分でも本当に何でそう思うのか?)という感じがするのだが・・・。
コレ、多分オーディオをやっていて一番考えちゃイケないコトような気がする。
オーディオによる音楽体験がそもそも疑似的なものだし、同じ音源でも聴く部屋や機器によっても違うのは当たり前で、一つとして同じ音で再生されるなんてことは無いのは百も承知だが、果たして作っている音の方向性はコレで良いのだろうか?という疑問が湧いて湧いて仕方がない。
EQを使っての積極的な音作りを是、としてここまでやって来たわけだけれども果たして良かったのか悪かったのか?
病んでいるのか?疲れているのか?
正直、今音楽を聴くことに心から楽しめていないのは事実だけれど。
ERATO 3984-24241-2 |
我が家でも
返信削除メインとサブでは全く音が違います。
昔有る友人に
どっちが本当の声に近いのかな?
と言われた事がありますが
基本その人の生声なんて聴いた事が無いのですから
分かるワケがないんですよね。
自分のイメージする音が出れば良しと
するしか無いと思います。
どちらが正しいではなく好みか?
が我が家では重要です。
幸せの黒い猫さん おはようございます。
返信削除自分にとって好い音、というのが大事なのですが、不意に気になってしまいました。
自分の感覚の話なので厄介ですね。
返信削除自分でお好みの音の良いCD等でチュウニングして行くしかないでしょうね。
我が家も夏の間音出しをしていませんでしたので昨日久しぶりに電源を入れたらしっくりこない感じでした。
体調もありますし機器にしばらく通電していないのも大きいかなと思います。
雪だるまさん ありがとうございます。
返信削除まあ、調整中のちょっとした躓きでしょうか?
以前に比べたら格段に好い音になってはいるのですが、今一つ気持ちがモヤモヤとしてなんとなくスッキリしないのです。
一度イコライザーを外して
返信削除機器の素の音を確認するのも良いかもしれませんね。
素の音の良いところ悪いところを
しっかり把握してから少しイコライザーで補正する。
イコライザーはかなり音が変わるから
ついそれに頼って素の良さを忘れる事が有る気がします。
調整ではなく素の弱点の補正と言う感覚でいないと
いつまでもゴールは無い気がするのですがどうでしょうか?
幸せの黒い猫さん
返信削除ううッ! 核心をつくコメント・・・デス。
そうなんですよね。ついついEQに頼ってしまっているのが現状です。
接続したままでもオフにはできるんで早速やってみます。
なんとなく今回のやり取りで
返信削除思い出したことを記事にしてみました。
https://ameblo.jp/triokt/entry-12511583539.html
的はずれかもしれませんが
一応貼っておきます。
幸せの黒い猫さん
返信削除こんばんは。
読ませていただきました。そちらにコメントいたしました。
こちらも早速EQをオフにして聴いてみましたが、やっぱりEQの効果の大きさを改めて認識する結果に。
低域のボン付きや中~高音域のピーキーな感じがEQの有るなしではやはり違いますね。
聴き比べて、1000Hz以上をこれまでよりも少し持ち上げてみました。トーンコントロールでいう2~2.5くらいでしょうか?