2019年2月3日日曜日

アンチェルの素晴らしい評伝  Košler / Czech PO. Prokofiev Comp.Sym.

先日のトスカニーニの評伝に続いて、カレル・アンチェルの評伝、高橋 綾著「カレル・アンチェル 悲運に生きたマエストロ」(2018年,アルファベータブックス) を読んだ。内容の素晴らしさに感激。
それほどのボリュームはないが写真や本文で取り上げた演奏のディスクがジャケット画像とともに紹介されている。そしてなんといっても付録のディスコグラフィー、これはかなり便利かと思う。
アンチェルといえば戦後のチェコ・フィル黄金時代を築いた名指揮者である。
ナチスのチェコ併合以降、強制収容所に入れられ家族を全員失うという悲劇に見舞われ、戦後ようやく楽壇に復帰したものの、68年のソ連によるチェコへの軍事介入によってカナダ、トロントで晩年を過ごした…。といった認識であったのだが、強制収容所の苛酷な生活の中にあって音楽活動に生きる希望を見出していたことやチェコ・フィル音楽監督就任について、その直前に共演したオイストラフが彼を推し、それを受けて当時の文化大臣の鶴の一声で決まったこと。チェコ・フィルの音楽監督となった後も楽団員とはあまりうまくいっていなかったこと。トロントの音楽監督就任がソ連侵攻よりも実際は早かったことなど今回この評伝を読んで積年の盲を開かれる思いがした。

最近気になっているプロコフィエフ。ちょっと前に自分へのバースディプレゼントとしてAmazonで注文したものが届いた。
マルティノン、ラインスドルフ、ロジェストヴェンスキー、ヴェラーにロストロポーヴィチや小澤、それに新しいところではN.ヤルヴィ、ゲルギエフ、キタエンコ、アシュケナージと10指に余る全集があるなかでコシュラーを選んだのはズバリ、何とはなしにである。PCでのストリーミングでコシュラーの5番を寝しなに聴いていて、なんとも音楽的に感じた。ビビビッと来るものがあったのだ。
ズデニェク・コシュラーの録音を聴くのはほぼ初めてのことであるけれど、これは買って良かったと思えるものだ。
プロコフィエフというとこれまでは不協和音とバーバリスティックなリズム、ロコモティブな要素が織りなす官能・快楽的な音楽という感じ、印象を持っていたのだけれど、ここにきて緩徐楽章の旋律の美しさにも耳が届くようになった。
ズデニェク・コシュラー、Wikiで調べてみると、アンチェルに指揮法を師事し56年には第6回ブザンソン国際指揮者コンクール優勝、63年にはミトロプーロス国際指揮者コンクールにおいてクラウディオ・アバドとともに同時優勝という実力者であった。以前、バーンスタインのヤングピープルズコンサートのyoutubeでバーンスタインに紹介され指揮する姿を観たが、そういうことであったのかと合点がいった。
生前はN響はじめ日本のオケにも客演していたおり、N響アワーなどでその指揮ぶりに接してもいたが正直なところ禿上がった風采の上がらない凡庸な指揮者くらいにしか思っていなかった。
このプロコでのコシュラーの指揮だが、非常に大らかでよく歌う。録音のせいもあろうがオケがよく鳴っているのがわかる。その分アンサンブルが犠牲になっているところもあるが、音楽の運びはとても丁寧で、決して大味なものではない。これまで聴いた様々な指揮者によるアプローチとは毛色が異なり新鮮味があった。
プロコフィエフ、次はバレエ音楽あたりを聴いてみたい。

今日は図書館でプロコフィエフに関する本を借りてきた。あったのは ひの まどか著 「プロコフィエフ音楽はだれのために?」( 2000年,リブリオ出版) という児童書だけ。収獲としては寂しい限りだが、この本、とっても良く書かれておりコレで充分という気もする。なんと言っても文字が大きいのが良い。
読み進めていると、気にかかる記述があった。
壮年のテミルカーノフにはユーリーという四歳の息子がいて、その子を膝に抱く時、プロコフィエフは息子たちが幼かった頃の感触をほろ苦く思い出した。         p149
第二次大戦中、ソ連政府は芸術家などをコーカサスに疎開させた。作曲家やモスクワ音楽院の教授たちはカバルタ・バルカル共和国のナルチクに疎開させた。プロコフィエフも女性を伴って(この時妻子とは別居中で付き合っていた女性がいた)ナルチクに疎開したのだが、そこで芸術委員会議長であったテミルカーノフから手厚い援助を受けた、とある。
ここに登場するテミルカーノフの4歳の息子は、後に指揮者になる。そう、誰あろうユーリ・テミルカーノフである。


SUPRAPHON SU 4093-2





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