2018年1月28日日曜日

コンセルトヘボウのGM4 ハイティンクとショルティ

日曜になってようやく穏やかな天気となった。それでもやっぱり寒く、相変わらずお台所の給湯器が使えない(昼すぎにようやく復旧。お湯が出る有り難さったら、ありゃしない)。

今日は朝からコンセルトへボウの演奏するマーラーの交響曲第4番を聴き比べ。
自身初のマーラー録音であるショルティ61年盤と67年録音のハイティンク盤。
一言で言ってしまえば剛のショルティ、柔のハイティンクか。
61年といえば、ハイティンクが首席指揮者に就任した年。どういう経緯でコンセルトへボウとのレコーディングとなったのかはわからないけれど、今から見ればなんだか道場破り的な感じ。その後、64年から第1番を皮切りにロンドン響とマーラーの録音が始まる。
ハイティンクは62年に第1番を録音したあと、しばらく間を開けて66年から71年にかけて全集を完成している。

ショルティ盤は、ショルティ自身も演奏・録音にとても満足していたらしく、シカゴとの再録音も最後に渋々行った、という逸話があるくらい。
聴けば、さもありなん、と思う。もうのっけからゴリゴリです。へボウもショルティの要求にしっかりと応えている。この録音の前はベイヌムが首席指揮者だったこともあって、即物的な演奏解釈にも慣れているのではないか。
それにしてもデッカの優秀な録音と相まって、何だか圧がすごい。鈴の音も録音のせいなのか強めのアクセントが付いているようで悪霊退散みたいに盛大に聴こえる。そしてなんといってもテンポが速い。
ハイティンク盤はというと、サラリとメルヘン。録音がフィリップスということもあるのだろう。オケの響きもよく捉えられていて演奏にも破綻がない。曲自体にうまく語らせているという感じが強い。以前はそんな風にに思えなくて、なんて凡庸なと思っていたが、最近になって曲を壊さずに曲自体に音楽を語らせる、そんなスタンスで演奏するハイティンクが気になっている。
特に、貫禄がそれほどついてない時期の演奏は適度に軽やかで良い。デジタル期に入ると、ちょっと鈍重に思える演奏が増える(BPh.とのマーラーなど)。
独唱について、ショルティ盤のスタールマンは明るい声で全くもって屈託なく歌う。明るすぎるようにも思うが、ショルティの音楽性とは合っているように感じた。一方、ハイティンク盤のアメリングはコロコロと心地よく声が転がるが、そこに影を感じさせる深みのある歌唱を披露している。七味がアメリングを知ったのはデジタル期の全盛期を過ぎようかというところであったが、それでも透明感のある可憐な歌唱にはグイっと心を掴まれてしまったが、ここでのアメリングはもうチャーミングこの上なくまたもや心を鷲摑みにされてしまった。
ハイティンクの演奏も良いのだが、やっぱりアメリングの歌唱に負うところもあるな。

3度目の使いまわし(笑)

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